ブルース・リーからの手紙

文 ソフィ・ウエカワ
『ブルース・リーからの手紙~シアトル編~』発売によせて

 


※本頁は、昨年末に発売された『ドラゴン魂 創刊号』に収録されたものをweb用に再編集したものとなっています。

今の時代において、ブルース・リーのファンでターキー・キムラの名前を知らぬ人はいないでしょう。映画の共演者でもなければ、武術界で長らく名声を馳せてきたわけでもなかったターキーです。ブルースの映画が日本に上陸した当初は、まだまだ知る人の少ない名前だったに違いありません。

それが今や、知らぬ人のいない人物となったのは何故でしょう。

ブルースのことを愛し尊敬すればするほど、ブルースのことを知りたくなるのがファン心理というものでしょう。ブルースのことを少しでも調べ始めたら、すぐさまターキーの名前に行き当たります。ターキーはブルースの人生にとって重要な人物だったからです。

ブルースは1959年の「あの日」まで、どうしようもないやんちゃ坊主でした。学業を放り出して喧嘩とダンスに明け暮れる日々は、映画『李小龍 マイブラザー』(2010)(註1)、『1959某日某』(1999)(註2)でも忠実に再現されています。

「あの日」1959年4月29日、プレジデント・ウィルソン号で一人アメリカへ旅立ったブルースは如何に心細かったことでしょう。家族も使用人も一緒になって大人数でワイワイと一つ屋根の下で暮らしてきた少年が、いくら父の友人とはいえ、よく知らない他人の家に一人で居候しなければならないのです。しかも見ず知らずの土地です(註3)。今までとまったく違った環境で、自分の人生にとって新しい一歩を踏み出すことになったという嬉しさや期待もいくばくかはあったかもしれませんが、両親の愛と庇護に包まれて育ち、売れっ子の子役としてチヤホヤされてきた世間知らずの少年が、突然、何もかも自己責任において自分で開拓していかなくてはならない状況に放り出されたのです。

兄弟姉妹や親友たちも傍にいません。居候先のチョウ家の子供たちとも仲良くなれたとはいえ、やはり支えとなってくれる心許せる親友はそう簡単には見つからないものです。

そんな日々を送っていたブルースが出会ったのがターキーでした。

第2次大戦時に強制収容所で苦難の日々を過ごしたターキーは、お前など生きる価値の無い人間だと刷り込まれ、自分に自信を失くしていました。まだまだ人種差別の残るアメリカで、日系人であるターキーは敵国人として迫害されたのです。収容され迫害されてクズだと刷り込まれるといった経験など無い私たちには想像もつかない辛さだったことでしょう。

ブルースはそんなターキーの心の傷を理解し寄り添いました。

ブルースと出会った当時のターキーの写真を見ると、どの写真も自信なさげでうつむき加減です。アメリカ人は往々にして写真に撮られるのが上手です。少し斜に構えたりポーズを取ったりして最高の笑顔で写真に納まろうとします。そんなアメリカで生まれ育ったはずのターキーなのに、若かりし頃の写真の表情は、とても頑なでこわばった顔をしています。そんな表情のターキーが、ブルースのおかげで自信に満ち溢れた人間に変わっていった様子が、本書に寄せられた彼自身のコメントや近影から十分に読み取れます。

香港という華人の地で、好きなように暴れまわり、何一つ不自由なく暮らしてきたブルースも、まだまだ人種差別の残るアメリカに来てしまえば邪魔者扱いです。自分の暮らす土地で邪魔者扱いされる辛さはブルースとターキーに共通のものでした。だからこそお互いの立場や気持ちが理解できたのでしょう。

ブルースと出会い、心の底から信頼し尊敬できる真の友を得て、お互いにリスペクトし合い、切磋琢磨し合いながら、新しい自分を創りあげていったことで、ターキーは自分に与えられた命を肯定し楽しむことができるようになったのです。

本書では、ターキーの変化を作り上げていったブルースの言葉を存分に体験していただけますが、それと同時に、ターキーの存在がまたブルースにとって必要不可欠で大きな支えであったことも読み取っていただけると思います。

神のような偉業を成し遂げたブルースはまた、人間らしい人間でもありました。時には悪態をつき、時にはお茶目なジョークも書いています。まさにブルースの心の声が記されている本書の掲載内容を少しだけ紹介しましょう。

ブルースは筆マメです。世界中のあらゆる場所からあらゆる友人たちに手紙を書いています。本書にあるターキー宛てだけではありません。別書に編纂してあるジョージ・リー(註4)やダン・イノサントにも、そして当然妻のリンダにも多くの手紙を送っています。

もちろん当時は携帯電話などという便利なものが無く、国際電話も非常に高額だったという背景はあります。とはいえ、プライベートな友人への手紙に始まり仕事のパートナーへの連絡についても手書きの手紙を送り、そして相当数のメモを残しています。

本書では、ターキーへの手紙の全内容をそのままにお披露目しています。ブルースが、その時に何を考え、何を伝えていたのか、皆さんご自身の目と心で確かめてください。

ブルースの手紙は饒舌です。自分の近況を伝えるだけでなく家族自慢も展開します。そこにはリンダやブランドンへの愛が満ち溢れています。
「君も、僕みたいに素敵なワイフを見つけられるかもしれないよ。」
などというくすぐったいセリフもブルースはさらりと書いています。リンダに加筆させた手紙もあります。ブルースのお茶目な軽口から、本当に仲の良い夫婦であることが見て取れる心温まる手紙です。

また、『ドラゴン拳法』として公開された20世紀フォックスのカメラ・テスト映像での「息子さんが生まれたそうですね。」というインタビュアーの言葉に対して、満足気で幸せそうにはにかむブルースを覚えていらっしゃる方も多いでしょう。中華文化をバックグラウンドに持つ人々は家族と親類縁者を非常に大切にします。ブルースの家族愛の根底には中華文化が流れている証拠に、ブルースはそろそろ6ヶ月になろうというブランドンの写真をターキーに送っています。これは、ブランドンを自慢したいという気持ちと、ターキーを実の兄のように思っていた証だといえるでしょう。

そして、ターキーの家族についても、まるで自分の親戚のように常々気にかけています。ブルースにとってターキーが親友以上の存在であることが自然と伝わり、ターキーもブルースに全幅の信頼を寄せます。

ブルースは常にターキーへの感謝を表し、寛容でありました。そして常に細やかにターキーを気遣っていました。

ブルースは手紙で、心から信頼しているターキーにシアトル道場を任せると何度も表明しています。そして更に、なお自信無さげなターキーが他の兄弟弟子から見下されることなく道場の最高責任者としていられるために何をすれば良いのか、的確に指示を出し続けます。こういったサポートがターキーに自信とモチベーションを与えていくのです。

ただし、ブルースのサポートは甘やかしではありません。香港人特有のせっかちさのせいなのか、道場で使うユニフォームのサンプルを何度も督促します。しかも完璧主義のブルースは、自分が思うようなユニフォームを仕上げてくれる仕立て屋を探せときます。しかし無責任に探して来いと言いつけるのではなく、従前に自分の思うクオリティに仕立ててくれた仕立て屋に当あたってくれと頼んでいます。ブルースが、自分の関わること全てに手を抜かない完璧主義だったことがよくわかります。

昔々、ロードショー誌で目にして、常に私の心にあった文章がここにありました。
『人生は水の流れに似ている。時には不愉快なことが突然現れ、心に傷跡を残すが、すべては水のように流れていく。』
この原文がターキーに宛てた手紙の中にあったのです。しかもなんと、その手紙は日本から投函されたものです。日本の切手が貼られたブルース本人の手による手紙です。日本のファンの皆さんにとって、この手紙を見るだけでも本書には大きな意義があるのではないでしょうか。

また本書ではブルースの手によるメモを余すところなく掲載し、解説しています。ほとんどがクンフーに関することですので、クンフーをどのように自分のものにしていったのかを探る手がかりに満ちています。また、ターキーの誕生日に寄せた妙に可愛いバースデイ・カードも掲載しています。ターキーを心から大切に思っていたことは明らかではありますが、あんなにも強くてスタイリッシュなブルースが、こんな可愛いものを選ぶのかと意外に思われることでしょう。

シアトル時代のスナップ写真もふんだんに掲載されています。同じ場面で撮影された写真が連続写真のように編集されているおかげで、その場の様子がフィルムを観ているかのように動きを感じさせるものになっています。

そしてターキーを始めとするブルースに関わりのある人々のインタビュー・セクションでは、ブルースを更に多面的に理解していくための示唆に満ちた言葉が聞けます。

ルビー・チョウの娘シェリル・チョウ、カトウ・シュウゾウ、ダグ・パーマーといった、ブルースと共に時間を過ごした人々のインタビューでは、シアトル時代のブルースの日常を身近に感じていただけることでしょう。

シェリル・チョウはブルースの居候先チョウ家の娘。ブルースを実の兄のように慕って仲良くしていた当時のことを話してくれます。ルビー・チョウとブルースの関係は年頃の少年と母親のそれといったところで、やはり衝突があったようです。しかし父親役となったチョウ・ピンとは上手くいっていたようで、シアトルで人生初のホワイト・クリスマスを経験するブルースとの楽しげなスナップショットが掲載されています。

シアトル時代のブルースに関わったカトウ・シュウゾウという日本人をご存知でしょうか。ワシントン大学で柔道クラスを開講しており、ブルースはそのクラスを3か月受講したのです。ブルースの道着姿の写真が残っているのもうなずけるわけです。ブルースとの関わりが3か月と短かったこともあり、非常に短いインタビューではありますが、大学生としてのブルースを垣間見られる面白い内容のインタビューです。

『ブルースの本』セクションではブルースがどんな本を読んでいたのかが明らかにされています。それぞれの本に書き込まれたサインやイラストなどは少しずつ違っていて非常に興味深いです。

シアトル道場の様子の見比べも面白いでしょう。ブルースが教えていた当時と“Regards from the DRAGON -Seattle-”発行時(2009)のターキーを見てください。一人の人間として、道場の最高責任者として、自信に満ち溢れたターキーの近影が掲載されています。シアトルを離れてからも、ブルースはターキーを励まし、指導し続けました。ブルースがこの世を去ってからも、ターキーは本書に掲載した手紙を見返し、そして自身の記憶に留めてあったブルースの言葉を繰り返し噛み締めては、自分を高め成長させていったのです。

そして、シアトル時代のもう一人の重要人物としてダン・イノサントを挙げないわけにはいきません。今回の日本語版への特別編集としてダン・イノサントの写真をふんだんに追加しています。ターキーとイノサントという親友を通して、ブルースをより深く知っていただけることでしょう。

この世を去ってもなお、友人やファンを成長させ続けるブルースの言動はまさに神業と言わざるを得ません。

本書はブルース・リー史において、ひとつの大きな一里塚といっても過言ではないと自信を持ってお奨めします。ブルースをより深く理解していただくためのバイブルとなるでしょう。ブルースの生き様は最早、日本史や世界史に匹敵するグローバルな歴史ジャンルだと言い切ってもいいですよね、皆さん?

(註1)『李小龍 マイブラザー』:2010年 香港映画。ブルース・リー実弟のロバート・リー制作総指揮による。ブルースが渡米するまでを家族のからの視点で描いた作品。

(註2)『1959某日某』:1999年 香港映画。監督・脚本・主演 歐錦棠(スティーブン・アウ)。渡米直前のブルース・リーを描いた作品。

(註3)ブルースが滞在していたのは厳密にはルビー・チョウの家ではなく、レストランの上にしつらえた部屋。本書に写真掲載あり。

(註4)ジョージ・リー(故人)はブルース・リーが所望するあらゆる道具を作り出したスーパー職人。ブルース・リーからジョージ・リーへの手紙は、“Regards from THE DRAGON -Oakland-”として2008年に出版されている。日本語版も近々出版予定。