刀を表芸として名乗る流儀(グループ)は700流派とも1000流派とも言われておりますが、鉄砲の伝来で戦闘手法も変わり、明治維新の文明開化では侍の象徴の刀を差す事を禁じる廃刀令で、刀の時代は終わりました。剣術の流儀は細々と伝統文化として教え伝えられていましたが、第二次世界大戦に敗れ連合軍(米国)の命令で武術禁止令と300万振りのも文化財産でもある日本刀が没収され廃棄されました。現在残る刀は武器ではなく、美術品としての刀になりました。
明治維新後、刀は不用な物として、廃刀令が出され武術は衰退の道を辿りましたが、志ある士によって日本文化、民族伝統文化である武術、居合を各緒流儀合同で守り発展させようとする動きが生まれました。明治19年には西南戦争の反省から剣術が見直され、警視庁が各古流の技の粋を集めて10本の警視庁流抜刀術を制定。明治32年に武道の大本山の大日本武徳会が、大日本帝国剣道形を制定し、昭和29年に大阪の英信流宗家河野百練を中心に「全日本居合道連盟」が発足しました。その間に武道禁止令を乗り越え、武道ではなくスポーツ競技として「竹刀競技連盟」が認可され、全剣連が産声を上げたのです。先の戦争で一時途切れた、古武道界も古武道振興会から古武道協会が独立し、全剣連は居合を昭和44年に全剣連居合として各流派からの七本を制定としました。(現在は12本)
全日本剣道連盟に居合部会が発足し、居合の統一ルールを定め現代居合の中で最大グループとなっており、一級から八段迄のランクを作り免状を発行してます。ただ、残念ながら剣道はするが、居合は知らないという人が大多数であるのが現状です。
全剣連の技は座法・立業 計12本の制定技があり、2000年度の剣道連盟居合道部会会員は約90000人で、その内の約三割弱程度が女性で有ります。因みに剣道部会は166万人の人口ですので、まだまだ居合人口は低いと言わざるを得ません。
勿論、現代居合に留まらず古くからの教えを伝承文化、古流として居合を稽古研鑽されている方々も沢山おられます。