「リズムを崩せ!」
黒崎先生が私に言ったのはそれだけです。
「戦うのはお前なんだから、戦法や練習方法は自分で考えろ!」
とも言われましたね。(藤原敏男 談)
ドラゴン魂としてはこの先生に登場してもらわないと始まりません!ムエタイ500年の歴史を塗り替えた伝説のキックボクサー、藤原敏男先生です。少年時代の事、黒崎健時先生との出会い、ムエタイとの激戦、そしてベニー・ユキーでの事まで、根掘り葉掘り聞いちゃいました。恐縮です!
2014年5月25日
聞き手 川保天骨
藤原敏男プロフィール
一九四八年三月三日、岩手県生まれ。一九六九年一〇月一日、デビュー。
ムエタイ戦士と数々の死闘を繰り広げ、現役王者を下した。
そして一九七八年三月、王者モンサワン・ルークチェンマイの持つラジャダムナン・スタジアムライト級タイトルマッチに挑み、4ラウンドKOで王座奪取に成功。外国人史上初のムエタイ王者に輝いた。
元全日本キックボクシング初代ライト級王者
元ラジャダムナン・スタジアムライト級王者
格闘技の世界で“藤原敏男”の名前を知らない人間はまずいない。
外国人初のムエタイチャンピオンである。今でこそ、外国人のムエタイ王者は合計で6人(藤原先生含む日本人4人 フランス人2人※2014年取材時の段階です)出ているが、藤原先生のタイトル獲得は1978年。二人目に獲得したムラッド・サリが1999年に獲得だから、先生がタイトルを獲得してから約20年もの間、誰もムエタイの牙城を崩せなかったわけで、これはすごい事ですよ。
もっとも、藤原先生の場合はタイトル云々の前に、それまでムエタイの強豪相手と散々やり合って、当時最強と謳われたチャランポン・ソータイにラジャダムナンスタジアムで激戦の末勝利しているわけだから、現地タイ人も認める文句なしの王者です。
『キックの鉄人 藤原敏男 外国人初ムエタイ王者』(発売元UPPER)というDVDが発売されているので、先生の闘いは今、鮮明な映像で見ることができるのはうれしい限りだ。
90年代初頭、私がまだ現役の空手選手の頃、大道塾の先輩からその当時出回っていなかった藤原先生の対チャランポン戦や西城正三、シリモンコンとの試合が入った “裏ビデオ”を入手していた。超低画質なノイズだらけのビデオだったが、先生の動きを真似しようと日夜ビデオ鑑賞に明け暮れていたものだ。特にチャランポン戦は壮絶で、初めてこの試合を見た時「狂ってる!」と思った。それはもう、人間の全身全霊を込めた殴り合い蹴り合いの極致である。ま、今回その話も聞いたので、以下、そのやり取りを掲載しますね。
天骨 先生、今日はありがとうございました。練習後の一杯は最高ですね~。(このインタビュー取材の前、藤原スポーツジムで私は体験取材をしていたのだ)
藤原 朝から2時間一所懸命に汗かくでしょ、その後本当は1時間酒飲んじゃ駄目なんだよ。終わったばかりで体温上がってるから。内臓も体温上がってるのよ。その時に酒飲むと美味い!でもね、これやると内臓が弱くなってくるよ。
天骨 じゃあ、私は真逆の事やってますね。
藤原 うん、そうだね。
天骨 今回、体験取材がメインになるような雑誌でして、藤原ジムに体験取材させていただいたわけですが、練習、きつかったです……。
今日は先生に色々聞いてみたいと思います。先生は現役を引退されて、藤原スポーツジムが開設されるまで間があったんですけど、ジムをやろうと思ったのはどうしてですか?
藤原 俺はもう嫌でやめたんだよ。でも50代になって、やっぱり自分の手でムエタイのチャンピオンを作りたいなと思って。ムエタイというタイの国技そのものも弱くなってきたのは確かだけど、それでも日本人はまだまだ敵わないしね。打倒ムエタイについて言えば黒崎先生が俺に言ったのは「リズムを崩せ」ってことだけだね。何がポイントかって、リズムしかねえだろって。ムエタイのリズムってどんなリズムかって考えて、あの曲があるでしょ。ムエタイの。そのリズムを崩せって。先生はそれだけ教えてくれたよ。そして闘うのは自分なんだからその後は自分で考えろって。だから自分なりに工夫して、変則技ってのが生まれてきた。行くと見せかけて行かない、行かないと見せかけて行く。そうやって相手の呼吸のタイミングを全部崩す。それが俺の変則技ってわけ。
天骨 リズムを崩すというひとつの命題を黒崎先生に頂いて、それから先生が動き、戦法、そして独自のリズムを編み出す…。今までああいう動きをした人はいないと思うんですが、人類初じゃないですか。先生。
藤原 俺もあんな動きした事なかったよ。(笑)一人で鏡の前で形を作りながら、これだっていうのが掴めそうになる。でも完璧じゃない。五時間ぐらいずっとやってるわけ。すると前後左右に色んな形で動く事が出来るようになるんだよ。その当時の空手は前後しかない。左右の動きってのはまずない。キックの場合は回し蹴りがあったり、肘があったり、膝があったりするから、その間合いによって自分がどう組んだら一番いいのか、頭で考えるじゃない。とにかく出入りとサイドステップを延々とやる。すると自分の体が自分の体じゃなくなってくる。もう一つの上のレベルに到達した状態だね。
天骨 先生がチャランポンとやった時にですね。肘で相手の額を割った時、勝ったと思いませんでしたか?
藤原 思ったけどね。でも2ラウンドで逆転されちゃった。相手も国技だからね。地元のラジャダムナンスタジアムだし。
天骨 2ラウンド、ピンチに追い込まれた時、よく心が折れなかったですね。相手必死だったじゃないですか。
藤原 折れそうだったよ。やばいなと思って。(笑)
天骨 そういうギリギリの時に追い込まれたりすることは日常ではあまりないですけど。
藤原 どんな状況でも常に100パーセント力出し切る練習やってたからね、あの時は。不利な状況を有利に持ってくる。難しいんだけど…。苦しい状況下で常に自分を追い込んでいないとああいうピンチを脱出できない。今思えば練習の成果だと思うよ。強くなる稽古、うまくなる稽古、なんでもやってたから。
天骨 ムエタイもどんどんオープンになってきてますね。闘い方も膝蹴り中心になって。
藤原 元々国技だったけど今はビジネスだから。昔の派手さ、強さがなくなってる。テクニックでカバーしてる。
天骨 先生、いきなりですが、あの頃、ベニー・ユキーデとやってたらどんなことになってたんですかね?
藤原 負けてるかもしれないよ。
天骨 ええ~っ 負けないんじゃないですか?
藤原 あいつは一発パンチ当ったら一気に攻めてくるよ。俺がそれに耐えきれるかどうかだ。でも体重が違うんだよ 相手は65から66キロだから。その頃俺はライト級で61キロぐらい。3.4キロ違う。
天骨 岡尾選手が倒された時にどんな気持ちでしたか?
藤原 岡尾さんは先輩なんだよ。一回引退してそれからだから、あんまり練習出来てなかったんじゃないかな。
天骨 仇を打つっていう感じになりました?
藤原 いや、俺自身の名声を世界にアピールしたかった。そのためにはどういう事をしなければならないかっていう事だけを考えてた。
天骨 先生、今、ベニーとかに会いたいと思いますか?
藤原 ベニーには会いたいとは思わないけどね。熊殺しのウイリーには会いたいね。仲良かったから。
天骨 先生、山の中でウイリーと滝に打たれたりされてましたね。
藤原 俺、顔と名前が一致しないと覚えられないんだよ。「てんこつ」ってどう書くの?
天骨 天国の「天」に「骨ホネ」です。
藤原 天骨!天骨は東さんとはたまに会うの?
天骨 よく会いますよ。
藤原 俺、東さん大好きだから。飲んでカラオケ行ったら肩組んで歌うから。軍歌とか。軍帽被って。東さんは気仙沼じゃない。東さんも訛ってるけど…、歌はうまい下手じゃないんだよ、俺らは。自分の気持ちで仲間として歌って、ワーッと。震災の後、東さんと池袋で飲んだよ。ビールも焼酎も飲まず、日本酒だけ飲んで、その後カラオケ行ったわけ。
天骨 東先生と藤原先生のカラオケ対決とか見たいんですけど。
藤原 じゃあ、今電話してよ。
天骨 ……あ、はい。(東先生の携帯に電話する俺。………出ない)あ、東先生、出られません。
藤原 天骨だから出ないんじゃないのか?
天骨 いや~、そんなはずはないんですがねぇ~。
というわけで、まだまだいろいろ聞いたけど、紙面の都合上、今回はこれまで。