今回のイベントに登場するゲストの皆さんをご紹介しましょう!

●司会 コンタキンテ
1998年、江頭2:50さんとのコントコンビ『男同志』解散後、ソロ活動を開始。 TV出演は『タモリのボキャブラ天国』『リングの魂』『めちゃイケ』『キックの星』他 2018年『コンタ・リー』として浅草東洋館にブルース・リー漫談で出演。 元 空道大道塾内弟子。 截拳道練習館タイニードラゴン代表、松岡ユタカ氏に師事。
●解説 川保天骨 (かわほ てんこつ)
1970年生まれ。写真家、雑誌編集者、映像プロデューサー。上京と同時に大道塾東京総本部に入門。東孝に師事。90年北斗旗無差別5位入賞、その後93年北斗旗中量級優勝。翌94年同階級準優勝。95年引退。93年、撮影スタジオアシスタント勤務を経て編集プロダクション・RUSHに入社。ラッシャーみよしに師事。スタッフカメラマンとして数々のエロ本、サブカル本、格闘技雑誌の撮影、編集をこなし、入社6年後に独立。株式会社ギョクモンエンターテイメントを設立。多くの映像レーベルや雑誌の立ち上げに関わる。現在は株式会社オルタナエンターテイメントに社名変更し、映像、出版、ウェブサイト運営などのプロデュース業を主に行う。
飯村健一 (いいむらけんいち)
1968年9月6日、東京都出身 卓越した打撃技術で現役時代は“KOアーティスト”と呼ばれる。 1989年5月7日、北斗旗体力別中量級初優勝。 この時の決勝戦でプロシュートボクサーの阿部健一を迎え撃ち、優勝を阻止した一戦は大道塾史上に残る名勝負として知られる。1990年の同大会は準優勝に終わったが、1992年5月31日には王座返り咲き1993年の同大会では再び準優勝となったが、やはり翌年4月18日の同大会で優勝を果たした。1999年5月30日には同大会軽重量級でも優勝を果たしている。また、ラジャダムナンスタジアムでムエタイにも挑戦した。大道塾吉祥寺支部支部長、師範代。
阿部健一 (あべけんいち)
元シュートボクシングシーガル級1位。ボクシングライト級新人王。第一回トーワ杯第三位 黒崎賞獲得。 健闘塾 塾長兼町の商店。 阿部健一の存在抜きに1990年年代の格闘技界は語れない。伝説の格闘家であり武道家。プロシュートボクサー時代の1989年、北斗旗体力別に挑み、圧倒的な強さで決勝まで勝ち上がる。決勝戦では飯村健一と北斗旗史上に残る名勝負を演じ、惜しくも敗れ準優勝。大道塾主催の格闘興行THE WARSにおいて再度飯村健一と対戦。無差別級の第1回トーア杯においては70キロそこそこの体重ながら正道会館の巨漢内田をKO。準決勝ではこちらも30キロ以上の体重差のある正道会館の佐竹雅昭と対戦。本戦、延長戦ではミドルキックで翻弄するも、2度目の延長戦で佐竹の肘の猛攻を受け判定負け。格闘技史上まれにみる名勝負となった。 現在は自身の主宰する健闘塾において後進の指導にあたる。その天真爛漫なキャラクターと大きくて強いものに対しても引くことを知らない敢闘精神でファンは多い。
稲葉紀之 (いなばのりゆき)
伝説のグローブ空手のオープントーナメント大会、第1回トーア杯において、ダークホース的な存在として大会前からマスコミに名前が登場し、蓋を開けてみればあれよあれよという間に勝ち進んだ。決勝では当時、破竹の勢いの正道会館 佐竹雅昭と対戦し、一度は勝利判定をものにしたものの、再試合となり力尽きる感じで敗北。その戦い方は対角線上の攻撃を主軸にしたオランダ式キックボクシングの戦い方を彷彿させるもので“和製カーマン”と呼ばれた。大道塾との関係は、福昌堂ビデオ【格闘王】での長田賢一との技術交流や、大道塾主催の格闘技大会、THE WARSに出場し、その華麗な組手を披露した。90年代の格闘技界において知る人ぞ知る伝説の格闘家。
長田賢一
(おさだけんいち)
大道塾を代表する強豪選手で、山田利一郎、加藤清尚、飯村健一と共に“四天王”と呼ばれた。北斗旗無差別選手権を4度、体力別重量級を3度制す。その圧倒的なKO率の高さから“ヒットマン”と呼ばれ他流派からも恐れられた。特に右ストレートの破壊力は凄まじく、ポリカーボネート製の頭部防具スーパーセーフを破壊してしまったという逸話を持つ。東孝初代大道塾塾長の後を継ぎ、二代目塾長に就任。引退後は様々な武術や古武道の修行を積む。