15年!
鬼の黒崎がムエタイの敗北から打倒ムエタイの為に全てをかけた時間!執念の軌跡をたどる!
何でもそうだけど、一番最初に突破する人間は、その後に続いていく人間の何百倍もの苦難、困難に遭遇する。一度突破したあとは、むしろ楽だ。我々人類は、ある一部のパイオニアによって導かれ、文明を形成しているに過ぎないんだよ。
2016年5月5日 藤原邸にて
聞き手 川保天骨
先生の住んでいる家にまで押し掛けた編集長を温かく迎えてくれた藤原先生。素晴らしい先生です。
何度握手しても足りないぐらいです!先生はカッコイイ!
黒崎先生がムエタイの試合に敗れ、そのムエタイの牙城を崩すまでに費やした15年の月日は、現代の軟弱な平成人間であれば、まったくもって信じられない!気の違いそうになるくらい驚愕の年月だ。それは狂気さえも孕んでいた。でないと不可能が可能になるか!藤原先生の話をとにかく聞いて!
――黒崎先生、大沢先生、中村先生の3人が大山空手代表としてタイに渡って闘ったのが1964年です。そこでの黒崎先生の敗北がある訳です。黒崎先生のことですからそりゃあ、もう悔しいっていう感情ではくくれないぐらいの気持ちを持ったと思うんですね。肘でKOされてるわけだし。その怨念といってもいいものを日本に持ち帰って、ムエタイに勝つために極真を離れて最後倒すっていう流れ。この部分を先生にお聞きしたいです。
藤原 先生は今のこの日本の空手じゃあムエタイは倒せない。その目的を達成するために先生は極真を辞めるわけです。昭和44年(1969年)に目白ジムを設立したわけですが、先生は自分が独立して当初は3年間で倒せる選手を作ろうと思ったわけだけど、結局10年かかったわけです。
――3年で倒すという目標設定が凄いですね。藤原先生が先生が外国人初のムエタイ王者になったのが1978年ですもんね。10年…。黒崎先生がタイでの敗戦から15年…。よく記事とかで書かれるのは、「500年の眠りを覚ましたムエタイ初の外国人チャンピオン」ですから。
藤原 まぁハッキリ言ってね、ムエタイを揺るがしたというかね………。
――黒崎先生はタイから帰ってきて約2年後にオランダへ空手の指導、その2年後に極真会館を去りました。思うのですが、そのまま残っていれば大山倍達の片腕として、組織内では確固たる地位に就いていたはずですよね。それを捨ててまで、打倒ムエタイという夢に向かって行った。私はこれこそ極真という精神だと今でも思ってます。
藤原 確かにそうですね。そのまま残っていれば、揺るぎない地位にいたはずです。凄い度胸ですよ。ただ、先生の生き様ってみんなそうですよね。半端じゃないなって思いますよ。そういう精神を持った先生に出会った事が俺のキック人生を作ったと思うし、あの先生じゃなかったら俺はそこまで行ってないと思うしね。
―――先生はどういうきっかけで黒崎先生の弟子になったんですか?先生はムエタイの牙城を崩そうとかそういう動機があってキックを始めたわけじゃないんですか?
藤原 いや、最初は遊び半分で入ったって(笑)。中学、高校で卓球青年だし。まぁテレビでキックボクシング見て凄いスポーツが世の中にはあるな~ぐらいの認識。ムエタイも知らないし、タイがどこの国なのかわからないし。その頃俺は設計士を目指してたんだけど、ある日、練習してたら黒崎先生がさらっと「試合やってみるか?」っていうから「じゃあ、やってみる」っていう感じ。三戦やって負け越したら止めるって軽い気持ちでやってたから。二戦目、三戦目でタイ人とやってその頃はフリーノックダウン制だから何度も倒された。でも俺は倒れても倒れても起き上がるわけ。無意識のうちに起き上がって戦ってる。二戦とも判定で負けて……。黒崎先生はそういう俺の戦いを見てなんかピンと来たようで、「こいつは一時代築く」って試合後奥さんに家帰った後言ってるわけ。奥さんは「何で負けた選手がいい選手なの?」って思ったみたいだけど(笑)。負け越したら止めようと思ってたけど、結局仕事辞めて道場内弟子なった。こうも無様に負ける自分自身に腹が立ったし、なんとか仕返ししなきゃいけないし、自分の闘魂に火がついたというか………。
――先生、負けず嫌いですね
藤原 確かにテニスや卓球で負けたって悔しいよ、殴られたわけでもないし、蹴られたわけでもないし、たかがテクニックで負けてるだけだ。でも格闘技ってのは殴られてるし蹴られてるし。頭くるじゃないですか。ウエイト制で体重が20キロも30キロも違うんだったらまだ話しは別だけど(笑)
――その時は今まで黒崎先生の極真での歴史とか先生はご存じだったんですか?
藤原 全く知らない。先生が極真の大山先生の片腕だった事も知らない。大沢先輩が極真にいたことさえ知らない。まず格闘技とか全くゼロだもん。とにかくそういう知識はないけど俺、黒崎先生の言うこと聞いたら絶対強くなると思った。
――いくら師匠だからとは言えそこまで人を信じ切れないって人が多いと思いますが。
藤原 高校卒業してこっち出てきて人を疑う事を知らない田舎者の青年だから(笑)。
――それで内弟子になってから始まった練習自体は地獄の練習だったと?
藤原 先生が「練習始め!」って言ったら終わりがなの。「何時間やるんですか?」って聞いても無駄。「俺が始めって言ったらやれこの野郎!」屁理屈が通用しない。初めがあって終わりがない。それが1番キツイよ精神的に。
――あとちょっと、あと何分までとか言ったらまだそこまで頑張れそうな………。
藤原 頑張ってくる気持ちが確かに湧き上がってくるけど………。合宿なんて他のジム生合わせたら45人ぐらいで真夏の炎天下、スクワットなんて1時間に1000本のペースでやらすから。2時間、3時間やっても終わりがないから皆倒れていくんだよ熱射病とかで。俺らは先生の内弟子で先に倒れるわけにはいかない。絶対音を上げないから。
――やっぱ藤原先生負けず嫌いですね
藤原 それを見抜いたのは先生だった。俺は人に負けるの嫌いだし、倒れるの嫌いだよ。とにかく「この先生の言う通りやってれば強くなる!」そう信じた心が今の俺を作ってくれたんじゃないかなと思うんですよ。
――やっぱり先生が黒崎先生の弟子じゃなかったらムエタイの牙城を崩せてないと思います。
藤原 黒崎先生に出会えなかったら普通の選手で終わってたと思いますけどね。勝負に対するの厳しさ、「キック魂」を先生から教えられて、打倒ムエタイでベルト締めたいってのがやっぱり自分の夢になったから。
――黒崎先生が育てた選手、島先生とか大沢先生、藤原先生、みんなスタイル違いますよね。練習は同じ事やってるのに動きや戦法がみんな違うと思うんです。
藤原 全然違う!試合の内容も違う。顔が違うように性格も違うし体型も違うじゃないですか。
――私が感じるのは、先生の動きは非常にトリッキーっていうんですかね?自分が選手の頃、あの動きに憧れて何度も真似しようとしましたけど(笑)とても無理です。フクラハギがパンパンになりますよ。あの独特のステップ、先生以外で見たことないです。
藤原 タイ人のリズムを崩す戦法だからね。二戦目三戦目で顔打たれたり蹴られたりした時、これ以上顔打たれたらバカになるなと思って、顔打たせない方法を考えたの。顔を全く打たせない事は難しいけどでも最小限にすることは出来る。数字の8を横にして動き続けるの。ボクシングでいうウィービングだけどね。それを鏡の前でずっとやってた。相手のパンチがきてもヘッドスリップして力の方向性を変える。そうすれば顔を打たれた時のダメージを半減できる。
――やっぱ打たせながらも自分が打つ選手ってのはちょっと選手寿命が短いですよね?
藤原 やっぱり打ち合いしてダウンの報酬は観客が見たらすごい面白い。でも選手寿命は短くなっちゃう。後遺症も残るし。選手引退した後は誰が保証するかってことだよね。頭バカになってしまっても誰も保証してくれない。じゃあ自分で守るしかないなってなるでしょ。これ以上打たれたら俺自身バカになると思った。だから顔打たせない方法で守ったの。黒崎先生は「顔から下は打たれたら打たれるだけ強くなってくる。でも顎から上は打たれたら打たれるだけ弱くなるんだからな!」ってよく言ってましたね。どうやって打たせないで戦って相手を倒すか。とにかくそれです。
――新格闘術はやっぱり僕の中ではベニー・ユキーデとかキックの選手がどんどん負けてこのままキックじゃ勝てないからっていう事で立ち上がったっていう解釈なんですけど。
藤原 いやあの当時の先生の考えは、どのジャンルの戦いでも、どんな格闘技が来ても戦える状態を目指すという事で新格闘術を作ったわけ。打倒ムエタイを実現するには色んなジャンルの格闘技を取り入れなければいけないっていう考えを俺自身も持ってた。講道館に通ったり、拓大でレスリングしたり、ヨネクラでボクシングしたり、そういう修行をすることで俺は打倒ムエタイを果たして世界に揺るぎない男になれるって信じてた。
――自分が見た先生の試合の中でとにかく印象に残っているのはタイでのチャラポンとの試合ですね。あれは初めて見た時は本当ビックリしたんです。
藤原 俺は1ラウンド目、チャランポンの足を掴んだ瞬間にコーナーに詰めて肘を3連発打って彼の眉間を切った。俺勝ったと思ったもん。
――先生あの時、やったぞ!みたいな。確信した顔ですよねあれ。黒崎先生はどう思ったんでしょうね?あの時。
藤原 いやー多分涙が出たと思いますよ。自分が肘で負けたムエタイに弟子が同じように肘打ちでムエタイのチャンプの額切ったわけだから。ただ、相手も負けられないものだから続行になったけどね。おまけに2ラウンド俺が危なかったけどね、膝で責められて。
――流石チャンピオンだから負けられないっていうことでしょうね?
藤原 セコンドも選手も観客もみんな必死ですよ。場内の歓声が凄くて。ウワーッて。
――あれはテレビの画面で見てても凄いですからね。現場の興奮はそりゃあ大変なものだったでしょうね?
藤原 いやもうセコンドの声も聞こえないし。あの歓声を逆に自分の方にプラスに変えるわけ。プレッシャーを逆にエネルギーにする。歓声が藤原頑張れ、頑張れって聞こえるんだよ。
――チャランポン戦での勝利は、ムエタイの歴史上外国人が初めて現役王者を破ったという試合ですから、これは本当に歴史に残る試合だと思います。黒崎先生の感慨もさぞ深かったろうと思います。
藤原先生の話を聞いて、ここまでのストイシズム、さらに言うと、勝負に対する狂気といってもいい執念は日本独自のもののような気がしてならない。