2014年に創刊された「ドラゴン魂」。ここから生まれた『龍魂会』。現在は真武術連盟に加盟している武道団体ですが、会長に藤原敏男先生が就任されました!
1978年 ラジャダムナン・スタジアムライト級王座を獲得し、ムエタイ史上初の外国人王者として世界中のマーシャルアーティストからリスペクトされ続けている藤原敏男先生。今回、事務局長である川保天骨たっての頼みを聞いていただき、会長に就任していただきました。
『ドラゴン魂』は第2号で「黒崎健時を信じろ!」と題して新格闘術、そして「必死の力 必死の心」で日本武道界のみならず世界の武道界にその名を知らしめる黒崎健時先生を大特集し、その流れで藤原先生の偉業も同じ号に掲載しました。『ドラゴン魂』の流れを汲む『龍魂会』が「黒崎イズム」を継承していきたいとの構想は私の頭に昔からありました。
「黒崎イズム」とは何か?その神髄は「真を極める」という精神、つまり『極真』から生れ出た概念であり、その核の部分だと思います。私はその神髄を何とか日本人の精神の系譜の中に残したいという思いがあったんです。それも書物や映像の中だけでなく、実践を持って。今を生きている日本人の核の部分に「黒明イズム」を打ち込んでいこうと。
黒崎イズムとは何か?
1963年、当時極真会館の師範代、黒崎先生はキックボクシングの生みの親、野口修氏からムエタイとの対抗戦を持ち掛けられ、その翌年、中村忠先生と藤平昭雄(大沢昇先生)を引率してタイに遠征。当初、黒崎先生は試合に出る予定はなかったのですが、「2人じゃ少ないから」という理由で出場を打診され、急遽参戦することになったということです。試合はルンピニー・スタジアムで行われ、黒崎先生はランカーのラウィーとムエタイルールで対戦。不慣れなグローブ着用や調整不足も影響し、ラウィーの肘打ちを顔面に浴び敗れました。いっぽう中村先生と藤平先生はKO勝ちして、空手とムエタイの異種格闘技戦は、かろうじて2勝1敗で勝ち越ししたんですが、話はここから。黒崎先生は極真会での地位と名誉を投げうって、「打倒ムエタイ」をスローガンに目白ジムを開設。ここで藤原敏男という稀代の天才キックボクサーを見出します。そして藤原先生は先に書いたように1978年3月8日、後楽園ホールでモンサワン・ルークチェンマイに4RKO勝ち。ラジャダムナン・スタジアムライト級王座を獲得し、ムエタイ史上初の外国人王者となりました。黒崎先生のムエタイでの敗北は15年の月日を経てムエタイの牙城を崩すことになったのです。
こうやって文字に書いてしまえば簡単に思えてしまうかもしれませんが、これは大変な出来事だったんですよ!今でこそムエタイは外国人チャンピオンも多数いて珍しいことではないかもしれないですが、当時としては大騒ぎになりました。一体どういうことなのか?
『ドラゴン魂2』に私が書いた文章を引用します。
「何でもそうだけど、一番最初に突破する人間は、その後に続いていく人間の何百倍もの苦難、困難に遭遇する。一度突破したあとは、むしろ楽だ。我々人類は、ある一部のパイオニアによって導かれ、文明を形成しているに過ぎないんだよ。」
「黒崎先生がムエタイの試合に敗れ、そのムエタイの牙城を崩すまでに費やした15年の月日は、現代の軟弱な平成人間であれば、まったくもって信じられない!気の違いそうになるくらい驚愕の年月だ。それは狂気さえも孕んでいた。でないと不可能が可能になるか!」(『ドラゴン魂2』(オルタナパブリッシング刊)より抜粋)
伝え聞く、また様々な媒体に記録が残されている当時の練習内容は、令和に住む現在の私たちからしたら、あきらかに狂気です。また藤原先生がムエタイの牙城を崩していく上での戦略や、戦いの実相は合理を超えたものがあります。いずれにしても、血みどろの戦いだったと思います。これらは今後ドラゴンメディアで詳(つまび)らかにしていこうと思いますが、ひとつ言えることは、日本人の精神の中には硬いブ厚い岩盤をも穿(うが)つ事を可能にする根性というものがあるんですよ。それが日本人の民族性の中に脈々と流れている。ここを私は強調しておきたいですね。
当時、打倒ムエタイという目標は、今で言うと火星に人類を送るぐらいな感じだと思う。By天骨
龍魂会の今後の動き
少し話がそれましたが、今後龍魂会は様々なアクションをしていこうと思います。ただ組織を大きくしようとか、団体として経済的に回していこうとかそういう事は一切考えてないです。商売でやってんじゃないんですよ。まあ、お金は大切ですがそれが目的じゃない。(もちろん運営には何かしらのお金が必要なので、篤志家の方は寄付してくださいね(笑))
私は5年前に20年経営した会社畳んで、今では単なる社会活動家ですから、そんなに商売しなくてもいいんです。目的はそれじゃないんですよ。
私も色々社会に揉まれてきましたからね、わかりますよ。「世の中金じゃない」とか「命をかけてる」とか「世のため、人のため」とか言ってる人間に限って大体真逆の事を考えているんですよね。「龍魂会」もそれか?とか思われるかもしれないけどね。ただそんな事気にしてる暇はないんですよ。人生は有限です。生きてる間にやれることは限られてますからね。境界線バリバリ壊しながらやろうと思います(笑)
まずは何かしら戦わないと男じゃないと思うので、戦う対象物が必要ですよね。色々考えたんですが、「ムエタイでしょう」という結論になりました。Muaythai Attack Team(ムエタイ・アタック・チーム)の結成でしょ!詳細は次回に。
2024年3月12日 川保天骨記す
藤原敏男 プロフィール
藤原敏男(ふじわら としお)1948年3月3日、岩手県生まれ。1969年10月1日、デビュー。
ムエタイ戦士と数々の死闘を繰り広げ、現役王者を下した。
そして1978年3月、王者モンサワン・ルークチェンマイの持つラジャダムナン・スタジアムライト級タイトルマッチに挑み、4ラウンドKOで王座奪取に成功。外国人史上初のムエタイ王者に輝いた。
元全日本キックボクシング初代ライト級王者
元ラジャダムナン・スタジアムライト級王者
その戦いぶりはキックの荒鷲と呼ばれるほど激しい攻撃力を持ち、一時代を築いた強豪である