武術、武道、そして格闘技…。男はなぜ闘いにロマンを見い出すのか?
梶原一騎、異種格闘技、格闘技バブルから読み解く強さへの欲望。
巨椋修
作家・漫画家・陽明門護身拳法師範・日本映画監督・新人協会役員・地球外知的生命体フォーラム会長でもある。
座右の銘は一石二鳥、果報は寝て待て、棚からボタ餅、人生適当。
扱うジャンルは社会問題から食文化、宗教やオカルトなど幅広い。格闘技の歴史に興味があり、
小説作品としては明治から昭和の異端の空手家を描いた『実戦! ケンカ空手家烈伝』などがある。
川保天骨
格闘技通信』の創刊号から10号目まで、『ゴング格闘技』の創刊号から10号目ぐらいまで持ってるのが自慢の大道塾生です。その他『格闘技界』(日本スポーツ企画出版)『ザ・ストロング』(笠倉出版)『マーシャルアーツ』(スポーツライフ社)など、今となっては入手困難な雑誌も持っていて、時々引っ張り出して読んでます。キモいですか?
1.異種格闘技戦というロマンはすでに崩壊した?!
2.格闘技の競技化から発生する現象は宇宙の法則?!
3.マーケティング戦略としてのメジャー化路線
4.異種格闘技戦はなんでドキドキするの
川保
最近、格闘技雑誌って何種類ぐらいあるんですか?
巨椋
何冊かあるんですよ。でも、昔みたいなカリスマ的な雑誌『格闘技通信』とか『ゴング格闘技』『フルコンタクトカラテ』っていう三つがあって、他にもいくつかあったみたいな感じではないですね。
川保
それぞれ役割がありましたね。
巨椋
ありました。情報の格通、技術のフルコン、中間層としての最も大衆的なゴングみたいなね(笑)。
川保
この前、何冊か手に取って見たんですけど、内容について行けなかった。95年に現役引退してからは、武道、格闘技とは全く関係ない音楽とかアッチ系の世界に興味が行ってたんですが、全く知らない世界になってたんですよね。浦島太郎みたいな感じで(笑)。
巨椋
数年前に、大晦日、すべての主だった局が格闘技をやったって時代がありましたね。あれがピークですよね。あの後、組織というものが別れたりしているうちにK-1も無くなったりして。
川保
一般常識レベルでは観てたんですが………。私からすると格
闘技といったらこういう世界じゃないですか。(と言いな
がら昔の格闘技雑誌を手に取る)
巨椋
90年代ぐらいまでの格闘技の二大潮流というのがあって、それは空手とプロレスなんですよ。空手及びキックボクシングとプロレスと言っていいかもしれない。僕達がマスコミから与えられる格闘技のイメージって、『空手バカ一代』の空手、そしてキックボクシングと、ボクシングにプロレスというもので。他にも当然アマチュア・レスリングとか柔道とか合気道とかあるんですけど、地味なアマチュアのものって普通の人はそんなに強い関心は無くて。
川保
気がついたらK−1とか含めて大晦日に格闘技番組って無いですよね。なんでこんなことになったんですか?
巨椋
ひとつは、僕は格闘技に対する荒ぶるロマンがなくなったという風に思うんですね。異種格闘技戦というものは、今は存在しないじゃないですか。UFC※1になってしまい。昔は、例えばプロレスとボクシングはどっちが強いのか、柔道と空手どっちが強いのか、みたいなファンタジーというか…。
川保
実際ナンセンスだけど、ルール違うんだから、どれが強いのかは個人によるけど、そこに対立軸を持ってきてやると面白いですよね。
巨椋
多分、格闘技の始まり、大昔からある。なんとか流剣術となんとか流剣術どっちが強いか、とか。昭和初期になったら、柔拳興業といって柔道対ボクシングの興業があったり。大正時代でもそういう興業があって、ボクシングの試合に本部朝基※2が出てきたり。
川保
今、格闘技の団体が細分化してしまって、大晦日に視聴率取るような番組としては出てこなくなってしまった。一般大衆がそこまで専門的なものは見なくなったというのが原因ですよね。UFCの出現によって何かが崩壊したというか。
巨椋
何が崩壊したかというと、ロマンとファンタジーですよ。
川保
異種格闘技戦がなくなって「UFCの中でやればいいやんか」みたいな。
巨椋
UFCの技術がどんどん高度になってきたんですよ。昔のグレイシー柔術が出てきた時って、『みんなグレイシーにダーってやられて脅威!』っていうところから格闘技ブームが爆発するんですけ
ど、あれが最後の花火だったかもしれない。それはやがて総合格闘技MMA※3というジャンルになり、それは今も人気あるんですけど、昔の様なナントカ対ナ
ントカという対立軸は無くなった。思えば講道館柔道って、講道館柔道対古流柔術に始まり、西郷四朗をモデルにしたと言われている姿三四郎がボクシングと闘ってみたり。あれが、ただ姿三
四郎が講道館の中だけで一番目指すというのだったら、ロマンがないじゃないですか。もうひとつは、喧嘩のシーンがふんだんに描かれるんですよ。『空手バカ一代』なんかもそうです。『姿
三四郎』はそんなに喧嘩のシーン多くないんですけれども、かつて喧嘩にはロマンが存在したんです。今の人たちはもう喧嘩ってやらないですよね。実は日本は年々平和になっていて、殺人事件は毎年減っている。
川保
いいことですけどね(笑)。
巨椋
毎年、殺人とか凶悪事件は戦後最低記録を更新している。犯罪学者の河合幹雄先生※4も言っているんですけど、飲み屋さんでそういう喧嘩も無くなったとか。昔みたいに狭い所で肘が当たった、肩が当たったみたいな。そんなリスクを犯さなくなってきた。でもそもそも男はバイオレンスでアナーキーな部分に憧れる面がある。喧嘩に強くなりたいから格闘技を始めるっていうのが、僕達の昭和だったじゃないですか。
川保
何故か惹きつけられるわけですよね。そうじゃない人もいますけど。とにかく格闘技の流派というよりも、異種な格闘技が闘うというものが盛りあがってきた部分がまずあったと。それがUFCによって統一されてしまった感がある。そうするとUFCの技術が上がってくると観戦者も専門的な見方になってきますよね。
巨椋
最初の頃のUFC大会は第1回、第2回って、カンフーの達人、空手家、ジークンドーの人、プロボクサー、アマチュアレスラー、プロレスラー とか色んな格闘技の人がいて、そこでグレイシーが勝っていくんですけど、やっぱりここも、あいつとあいつ闘ったらどっちが強いんだろう?っていうロマンがあるわけじゃないですか。
川保
一発でわかりやすいというか、人物を追って物語を作っていくわけじゃなくて、前置き無しに見たいっていうことですよね。それがK-1の モンスター路線というか、あれはそれも入っていますよね。「ボブ・サップと曙」※5がやる、とか。
巨椋
「見たいよね」って話ですよね(笑)。
川保
そういう路線で頂点に達したら、あとは徐々にそれが収縮していくような感じですかね。
巨椋
競技化がどんどん充実してくるとピラミッドができちゃって、下から上がっていくわけですよね。例えば、ボクシングのチャンピオンと柔道のチャンピオン、レスリングのチャンピオンがリングの上で闘うってことが無くなってくるんですよ。地区大会から始まり次は全日本、全世界と、下から上がってきますから。正しいスポーツなんです(笑)。
川保
私が思うのは、極真って最初、外に喧嘩売ってますよね。ムエタイと闘ったり。実際に外に向かってるじゃないですか。世界の格闘技に対して空手が異種格闘技戦をしていって、空手が最強だって言う事を示していく。
巨椋
柔道もそうだったんですよね。世界に挑戦して勝っていった。極真空手なんかも『空手バカ一代』の創作の部分が多いとしても、売りは「私は世界で一番強い。世界最強は空手だ。その空手で一番強いのはキミィ、極真空手だよ」と。
川保
そういうロマンに惹きつけられた人によって組織がどんどん大きくなっ
ていくと、全日本大会やろうということになってやりますよね。そして
、その時には色んな流派が出てくるんですよ。
巨椋
極真の第一回もUFCの第一回と同じように他流派がバンバン出てきた。
川保
これが今度、世界大会まで規模がデカくなると……。世界大会ができるってのは、ある程度世界に浸透しちゃっているからできるわけですよ。でも極真の第一回世界大会ぐらいまではムエタイ出てくるし、カンフーも出てくる。まだ固まってないってことですよね、マグマみたいに。それが第二回、第三回になってくると、他流派が段々いなくなってくるんですよね。団体としてどういう方向性かというと、それまで外側を向いていたのが、内側にどんどん向き始めるんですよ。内側というのは何かというと「ルールをちゃんと組み立てて、勝敗を付ける方法をキッチリ皆が見てわかるように定義していく」という方向になってくるじゃないですか。そうすると、選手は試合に勝ちたいわけですから、技を高度に磨こうとしますよね。この段階になると、その団体って……、これは極真会から生み出された団体の宿命かもしれないですけど、他流試合をあまりしなくなるというか、禁止したりだとか、させないような方向性なりま
すよね。選手も選手で全日本、全世界を目指す、と。その時にキック出ようとか、他流の大会に出ようとか、もう役割が終わってますよね、そういう方向性は。団体としては。
巨椋
冒険する必要ないし。
川保
これは正道会館もそうだし、大道塾もそうだし………。時代によって最強は違うと思うんですけど、極真会館は「自分が最強だと思ったら全日本大会に出てくればいい。世界大会に出て来い」って言っているんですよ。
巨椋
それが梶原一騎先生と大山倍達総裁の言ってたことですよね。「うちが最強だからおまえらうちへ来い」と(笑)。
川保
「一番最強を目指す男たちが集まる大会だから、ここへ入れ」っていう、どんどん内側というか、ゼロの宇宙へ向かって内向しているわけですよね。そこからまた飛びだしたりのする人もいる。新しいこと考えて。独自のルールを形成して、それを団体の概念というか哲学とか、そういう方向性にして。
巨椋
考えてみればそうですよね。極真空手がどうやって生みだされたかというと「うちらは当てる空手家だ」と。「俺らは当ててるから凄いんだ」と(笑)。
川保
山田編集長とかも言っているんですけど、空手の団体のルール設定は自分達の団体の存在意義というか、そのものじゃないですか。例えば大道塾の主催する北斗旗※6のルールはそもそも「他の流派が出てくるのを前提に作られている」というのがあったわけです。だから、制約を少なくしている。なので他流派が出やすいという論理です。結局、あの時、自分が1988年に入って、現役は95年まで出ていたんですけど無差別では全部で64人選手が出るんですね。この中で大道塾生って確か20人ぐらいしか出られなかったですよ。あとは全部他流派。だから大道塾から選手として北斗旗に出ること自体が大変だったんです。勢い、代表に選ばれたら他流派には負けられないという部分があったんですけど。
巨椋
飛び入り枠ありましたよね(笑)。北斗旗は。
川保
はい。私もやったことあるんですけど、無茶苦茶にしてやりましたよ(笑)。「大道塾代表が飛び入りに負けたら終わりでしょう!」っていう(笑)。その他ムエタイのパーヤップ※7が出てきたりだとか、相撲取りが出たり柔道の人が出たりとかあったんですね。外に向かっては長田先輩がムエタイとかって行ったり、市原先輩がラウェー※8とかUFCの試合に出たり。それが今は空道として2001年には世界大会があった。今世界で急速に広がってきてて、競技がメジャーになってきたということです。そうなると他の競技に大道塾がわざわざ出ていく必要ないですよね。また、他流派も勝てないからあんまり出なくなる。これも極真と同じ流れですかね。
巨椋
完成されてきた。良い言い方をすると。競技として、あるいは組織として。
正道会館も最初の頃はありとあらゆるフルコン系の大会に選手を出してチャンピオン作り出して「正道会館は強いんだ」っていうメッセージを世の中に提示した。それから素人が見ても楽しめるエンターテイメント性を持った空手を追及していったわけですよね。それが段々K−1になっていく。K−1は最初からメジャーなわけですから、もう他の大会に出る必要はあまり無いですよね。「K−1に出ればいい」となる。その競技自体の完成度を追及することが重要になってくるんです。これ、全て同じ方向性なんですよ。インナーに入っていき“ゼロの宇宙”を目指すっていう。そして最終的にはそういう高度に競技化されたものを楽しめる人じゃないとついて行けない事態になってる。
巨椋
そういうことですよね。異種格闘技戦とかのワクワク感、ドキドキ感、殺伐とした感じもなくなるし。
川保
これマーケティングの理論からすると、たとえば最初に千人相手に商売しようと思った時に、千人のみにチラシ配るわけではないじゃないですか。十万枚とか配って千人獲得できたらいいですよね。だから、そういうマーケティングの意味ではそれぞれ成功しているわけですよ。最初に色んなタイプの多くの人が見て、その中で分かる人だけ残って見続けるという。そこの部分は確かにマーケティングの力が働いているわけですからね。それを最初にやったのが、柔道は『姿三四郎』とかがあったでしょうけど、一番大成功したのは大山先生と梶原先生がやったことですかね。
巨椋
ブームを起こすにはやっぱり名プロデューサーが必要なんですよ、おそらく。柔道も実は勝海舟がバックについてる。嘉納治五郎の生まれた家って、坂本竜馬や勝海舟のスポンサーやってたんですよ。海軍操練所ってあったじゃないですか、竜馬が塾長やっていた。あれもそうだし、宿泊所も嘉納家だったんですよ。で、嘉納治五郎ってそこの超大金持ちのボンボンだった。学習院っていう貴族しか行けない大学に行って、あだ名が“ボン”っていう(笑) 。で、二十歳、二十一歳ぐらいに柔道興して。そうすると政財界の人たちがみんなバックに付くわけですよね。それはもう凄い力で。というのがあって。
まあ、それは置いといて『空手バカ一代』の大山倍達、梶原一騎ってそういう富裕層みたいな部分じゃないところから出てきてる。その時の大山先生は一空手家だったわけじゃないですか。そこで「凄いやつが居る」って梶原一騎が認めて、先生のこと書かせてくれって言って、人気漫画原作者が一空手家を描きだしたと。そこで梶原という名プロデューサーが誕生する事になるわけですよ。「この男は実在する!」なんてところから始まり(笑)。それこそ驚異的な世界を描き始めた。虚実を交えながらですよ。山籠りしたりとか、牛と闘ったりとか、海外でマフィアをやっつけたり、プロレスラーを倒して、プロボクサーを倒して。とにかく大宣伝をするわけです。漫画という武器を使って。そうすると、まあ(笑)あんなの誰だってドキドキしますよね(笑)。
川保
僕は最初、格闘技は全然興味なかったんです。初めて読んだのが中一の終わりか中二の始めぐらいですね。貰ってきて1巻から読んで衝撃を受けまして。
巨椋
僕もですよ。中一か小学校6年生ぐらいの時にマガジン、その前にチャンピオンで「虹を呼ぶ拳」という漫画。ドキドキしましたね。
川保
リアルタイムですね。僕は1984年ぐらいに、何度もブームが起こった後の何周目かですね。
巨椋
それでも衝撃を受けて。
川保
受けますよね。僕が住んでいた北九州の小倉っていう所はすごい柄が悪くて。その時は校内暴力がすごかったんですよ。信じられなかったですね。朝行ったらガラス全部割れてるんで。それでみんな、ボンタンとかリーゼント。パンチパーマ。それまでにも危ない目に会っていたんですよ。その『空手バカ一代』読んだ時に「これだ!」って思いましたね。その時、空手やりたいじゃないですか。でも小倉にはどこにも道場ないんですよ。少林寺拳法あったんで入りましたけど(笑)。でも少林寺拳法には空手バカ一代読んでる人がいっぱいいましたよ〜(笑)。
巨椋
大山倍達総裁自身が若い頃からすごいアピールする人なんです。他の空手家がやらなかった、牛と実際に闘ってそれをフィルムで撮らせて映画で上映してみたり。山の中に籠って中国拳法家と闘うシーンを映画に撮らせてみたり。澤井健一先生※9だったですけど。雪山の決闘的な。
川保
あの記録フィルムは音楽がちょっと可愛い感じでしたよね(笑)。あの時代にああいうアピールをした人っていないんですよね。映画というメディアを使っていたわけですね。柔道は最初から学校教育に入ってたからそういう必要ないですからね。梶原先生と大山総裁は最終的には映画、漫画、書籍、音楽と諸々全部やっちゃってるじゃないですか。メディアミックス戦略ですよ
巨椋
格闘技ブームをひも解けば、戦後に関してだけ言えば、力道山がいるわけじゃないですか。力道山の対立軸が二つあって、一つは悪い外国人レスラーなんですね。戦後の心が砕けた日本人にとってヒーローなわけですよ、相撲出身で悪い外国人たちを必殺の空手チョップでバッタバッタとやっつけるというのが対立軸であって、それも小さな組織だったんですけどメディアを使い、全国を興行し、大ブームを巻き起こした。これはのちの梶原一騎たちがやったのに似ているかもしれないですね。
川保
そこにヒントがあったのかもしれないですね。
巨椋
次に、もう一つの対立軸として、日本最強、世界最強と言われた木村政彦がいたわけですよ。名実ともに鬼の木村ですから、力道山とどっちが強いんだというので注目を集めて、プロレスのリングとはいえ二人が対決する。相撲出身力道山対柔道出身木村、相撲対柔道という対立軸で異種格闘技をやって大爆発して大受けする。いろんな事情で力道山が勝つ。色んな裏話もあるんですけど、一冊の本※10になっているぐらいで(笑)。
川保
プロレスラー同士の対立軸じゃないですね。相撲と柔道。
巨椋
プロレスは当時、朝日新聞やNHKでもニュースにしたぐらいですからね。
川保
素朴な疑問なんですけど、人間というかこういう人はどうして異種のものが対決した時に観たいという欲望が出てくるんですか?
巨椋
格闘技って他のスポーツと全然違う一面を持っていて、根本的に人間の闘争、裸の闘争があると思うんですよ。裸の闘争とは「こいつとこいつ、どっちが強いんだ?」という。これは小学校のクラスの中でも起こったりする。中学校では「おまえどこ中だ?」って思ったりする(笑)。とにかく誰が強いんだっていう。すごいロマンじゃないですか。
川保
スポーツと違うなって思うのは、スポーツとゴッチャにして語られるのは、異種格闘技戦はテニスと卓球のチャンピオン同士が闘うみたいなもんだって言うわけですよ。それとちょっと違うような気がするんですよね。
巨椋
そこは他のスポーツとの違いで、原理は喧嘩だったり、動物的な闘争であると思うんですよ。そこで子供心に「柔道と空手どっちが強いんだろう? 空手は捕まる前に蹴りがあるしな〜」とか、「ボクシングと空手だったら、空手には蹴りがあるから空手が強いんじゃないか?」っていう考えなくてもいいことを考えているわけですよ(笑)。
川保
すごく幼いというか、子供っぽいし、ナンセンスだし。「馬鹿じゃないか?」って言われたら「馬鹿です」としか答えられないかもしれないですけど、興味が簡単に起こってしまうというか。無性に見たくなる。考えたくなる。
巨椋
もうひとつ、梶原作品は大概、主人公が山に籠ったり、熊と闘ったり、体の上をダンプで轢かせるとかがあるんですよ。
川保
僕も思い出してみると、そういう滅茶苦茶な所に惹かれたんだと思うんですね。そのパニック状態の中に俺も入りたいって思いましたね。将来は動物と闘うのかなって漠然と思ってたり(笑)。闘ってないわけですけど(笑)。僕が中学校の時に一番惹かれたのは、山籠りですね。
巨椋
山籠りしたら強くなって帰ってくるような幻想を持ちますよね(笑)。空手って昭和の中期ぐらいまですごい神秘なんで。山籠りで強くなる事ももちろんですけど、瓦何枚割れるとか、バット折るとか。僕、真面目な空手入門みたいなやつ中学時代に読んでいて、当時は空手やっていませんでしたけど、憧れだけはあって貪るように読んでいましたけど。
「甕の中、一番下に藁を敷いて、その上に砂利を敷き、その上に砂。で、貫手の稽古。これで藁を掴み出す、これができるようになると人間の内臓を掴み出せるんだ」みたいなことがまことしやかに書いてあるんですよ(笑)。ほんまかよと思いましたけどね(笑)。
川保
動物と闘うのもそういう意味で凄いですよね。僕が一番好きな大山倍達の著書『大山カラテもし闘わば』とか。動物と闘うのが前提ですからね。虎、象、ライオンに勝つ条件とか。「猛牛、熊、ゴリラと闘わば」とか。第三章になると異種格闘技戦についてですね。
巨椋
すごい先見性ですね。異種格闘技戦についても書いているんですね。「ボクサーと闘う時は下から行け」とか。
川保
私がこの本で覚えているのは、「人間は本来、犬にも勝てない」と。犬と互角にやるには日本刀を持たないとダメ。「野生の動物はそれぐらいの力を持っている」とか書いてる。
人間の人智を超えたような能力があるかもしれないですね。
巨椋
韓国とか日本でも牛と闘うという話があって。沖縄の空手界でも昔、実際に牛と闘った空手家がいるんですよ。松村宗棍※11という人が闘っているんですよ。
主に琉球王国時代に活躍した沖縄の武術家。今日の首里手系統の空手流派のほとんどは松村の流れを汲んでいると言われる。
川保
大山倍達が最初ではないんですね?
巨椋
その松村宗棍という達人は、沖縄は闘牛が盛んですので、前もって毎日牛小屋行って牛殴ってたんですって。十分に恐怖を与えてから対決したら牛の方がビビっちゃって。そういう仕掛けをしたらしいんですけど。あと、ギリシャやローマでも牛と闘うって話ありますね。
川保
「極真の全日本チャンピオン・クラスはスペインに行って闘牛祭りの時に颯爽と現れて牛の足でもへし折ってみろ、キミィ」って。やった人いないですよね(笑)。
(つづく)