「天骨先生、『真武士道』新幹線の中で全部読みました!素晴らしいね!やっぱりこれからは武士道教育だね。」
浜井先生から電話があったのは2023年の6月下旬。
「あ、浜井先生ありがとうございます。そうですか!読んでいただきましたか!ありがとうございます!」
道義出版から出た『真武士道』の創刊号を私は一週間ほど前、浜井先生に献本していたのだ。
「浜井先生、日本人の根本にある武士道精神を復活させない限り、この国は自立も共存も繁栄もできません!先生のお力をお借りできませんか?」
「私に出来る事であれば何でも協力しますよ!」
「とりあえず、日本再生TVという社会・政治系YOUTUBEチャンネルがあるので、そちらで先生の番組を作らせてください!」
浜井先生は快諾した。
先生の『夢酔独言』はこのようなやり取りで始まったのだ。
私は雑誌の取材で数年前に浜井先生と知り合い、どちらかというと、空手関係者的な付き合いだった。
先生の空手にかける情熱は異常で、常にその本質を求めようとしていた。
その意気に共鳴し「私にできることは何でもやります!」と、その時先生が推進していた『護身空手』『ドラグローブ』についての情報拡散を私は手伝ったりしていた。
先生のやろうとしていたことについては、私は私なりに色々考察し、おかしいと思うところや矛盾点は包み隠さず指摘した。
なぜなら先生が真剣であることが分かったので、適当に相槌をうって、調子を合わせることを私はしなかったのだ。
なので先生からすると耳が痛いような指摘がほとんどだったろう。
しかし、ドラグローブを手に取って護身空手のルールについての理論を嬉々として語る先生に、最終的に私は言うべき言葉を失った。
先生はあるアイデアを思い付いたら、それを実現するために様々に考えをめぐらし、そして実際に着手する。
先生はアイデアのみで終わるような妄想家ではなく、具体的に物事を推し進める実践者だった。
ただ、やり始めたら誰も止められない。その対象に没頭して他人の意見なんか聞く余地はなかったように思う。
その没頭している時のエネルギーはすさまじく、周りはそれに巻き込まれていく感じで、私もそうだった。
あの勢いで夢を語られたら誰も無視できないし、巻き込まれるよ。また先生も周りを巻き込もうとしていた。
いやはや、すごい人でした。
取材後、先生はよく焼肉に連れて行ってくれた。そこで話す内容は、空手についてはそこそこに、主にユダヤに関する陰謀論や、国際金融資本、旧約聖書についての話がメインだった。
先生の博学には驚いたが、その話しぶりや内容の濃さ、何よりも話している時の先生の「生き生き」した表情が私の心を打った。
私は先生のこの『語り』をそのうち何かしらの動画で残したいと考えていたことは確かである。それが『夢酔独言』に結びついたのだ。
どちらかというと先生は言っちゃいけないことや、空手界に資することない内容をペラペラしゃべって顰蹙を買う『暴露系、炎上系の論客』というレッテルが貼られつつあった。私はそのことが残念で仕方なかったし、先生にもその事を告げたが「いや~、色々な人にそれ言われるんだが、なんか乗せられちゃうんだよ」と屈託なく笑う。私としてはそれ以上何も言えなかったな。
先生の本質は日本の現状を憂いている『憂国』にあると思っていたので、それを私はこれから先生とじっくり構えて伸ばしていくしかないと考えていた。
その浜井先生が亡くなった。
結果的に『夢酔独言』は先生の『日本』『日本人』に向けての遺言となってしまった。
日本はまた一人、貴重な人材を失ってしまった。
そして私にとっても『真武士道』における数少ない理解者の一人を失ったのだ。
これからの日本がどうなるのか?日本人とは何なのか?
そして日本は、日本人はこれからどう進むべきか?
その具体的な道標を打ち立てる直前に、先生は逝ってしまった。
しばし呆然と立ちすくむ私にあの世の先生は何というだろうか?
先生の死については、早い段階で情報が来ていたが、公式発表の前に公表するのは礼に失すると思い、改めてここに哀悼の意を表し、前掲の文章を掲載しました。
2023年12月16日 川保天骨