●体の限界を越えても 心が体を導く

   俺が試合に臨むときの心構えは、単純だ。 ひとつしかない。どんな手段を用いても勝つんだ、と自分自身に信じこませることだ。負けないと思うんじゃない。敵を倒し、勝つんだと思うことだ。
　ダウンをとられても最後には自分が勝つ。仮に試合で負けても、そのあとで木刀を持っていって倒す。それが黒崎先生の教えだったし、自分もそう思っていた。
　俺は気が小さい方だったから、負けるんじ ゃないかなと思ったら、負ける。だから、自分が必ず勝てるという自信を持ちたいがため稽古をしてたのかもしれない。どんな大男でも急所はあるから必ず勝てる、と言いきかせていた。
　相手がタイのチャンピオンでも同じ気持ちだった。向こうがタイの代表なら、こっちは日本の代表だ。回りの人間は、タイの王者はすごいとか、今度の相手は強い、とかいろいろな情報を試合前にくれたけど、人の話は一切あてにしない。強いか弱いかはやってみな ければわからない。それは自分がきめることだと思っていたから。
　ジャイディーというラジャのチャンピオンとやったときも、183センチという長身で膝がうまい選手と聞いていた。
しかし、俺はジャイディーの不用意なアッパーをもらって、ダウンを奪われた。強い選手は大抵オールラウンドだ。膝だけ注意していて、実際の攻撃が予想と異なると、失敗する。要するに自分もオールラウンドプレイヤーになって、肘でも膝でもタイ人よりうまくなって、どんな相手にも対応できるようになれば誰にも負けないわけだ。
　相手によって練習を変えるんじゃなく、どんな相手にも応じられる練習をふだんから積んでおいて、それをリングの上で出せばいいんだ。
　チャランポンというラジャの王者とタイで戦ったときも、相手が肘を狙ってきたので、 蹴ってきたところに逆に入って、左の肘を頭にぶつけてやったことがある。ガクン!と音がして自分の左の肘の軟骨が砕けたみたいだったが、相手が狙ってきた技よりも、さらにこちらが強い技で返せばいい。その試合はラジャでやったが、判定で勝つことができた。しかし、15年間キックをやっていて、こいつにだけは技では勝てない、と思ったことも 正直言って1度だけある。
　ルンピニーで試合した元チャンピオンのプッパノイだ。こいつの蹴りを1ラウンドに受けた瞬間に、腕が折れたんじゃないかな?と思った。 呼吸が止まり、リング上で動けなくなった。殺される、とそのとき思った。
　しかし、どうせ殺されるんなら、捨て身の攻撃を仕掛けよう、という覚悟ができたら、自然に身体が動き出した。いつもよりも身体が動き出し、2ラウンドと3ラウンドでは俺がダウンを奪った。しかし3ラウンドの後半に額を肘で切られ、4ラウンドには逆に蹴りでダウンを取られるというすごい試合になった。その試合は、結局判定で俺が勝ったが、タイの年間ベストファイト賞にも選ばれたようだ。しかし、試合が終わってホテルに帰っ たときには、寝たきりで数日間は体が動かな かった。本当に死んだ気になると、体の限界を越えても心が体を引っぱっていくというこが、本当にあるんだと思ったよ。

●裏づける稽古と 信頼できる師

　だから、試合で勝敗を決するのは、精神的な要素が非常に大きい。自信を持つということは、相手がいる場合、〝相手を飲む”という ことだ。
後楽園ホールで、モンサワンとラジャのタイトルをかけて戦ったときは、絶対に負けられない、という気があったから、ゴングと同時に「ワー!」と声を出して特攻隊のように コーナーにいるモンサワンに襲いかかっていったこともある。タイでは声を出しちゃいけないんだけどね。気持ちと心を捨て身にして 戦うために、そんな手を使ったんだ。
この試合は結局、倒れながらもモンサワン の顔面に肘を入れてKOで勝ったが、タイでの防衛戦で、シープレーに判定で持っていかれた。
　その雪辱戦を再び日本の武道館でシープレーと新格闘術のタイトルをかけてやったんだけれども、その時も不思議なことがあった。シープレーとの試合は最終ラウンドまで持ち 込まれたんだけど、そのラウンドの前に、 黒崎先生が「右に回って相手を誘い、右フックでKOしろ」とアドバイスをしてくれた。自分は黒崎先生を全面的に信頼していたから、ラウンドが始まると、黒崎先生のアドバイス 通りに体が動いた。スルスルと自分の体が右に回り、シープレーが誘われるように近寄ってくると自然に右手が動いた。 黒崎先生の言葉通り、その1発でKOしてしまったんだ。今から思えば、絶対に勝てるという暗示は 自分ひとりでかけたのではなく、黒崎先生にかけてもらっていたのかもしれない。
　全日本タイトルをかけて鈴木勝幸と戦ったときも、4ラウンドまでは俺が押されていた。周りの人たちは、判定で負けるのではないかと心配していたが、その時も、自分は試合を 終わってベルトをしめている自分の姿がはっきりと頭の中に浮かんでいた。最後に勝つのはこの映像の通りの自分なんだ、だから必ず勝てる、と信じていたので、俺本人は全く心が動揺していなかった。その試合は、最終ラウンドに俺が右アッパーで逆転KO勝ちして、結局、暗示通りになったけどね。

　現役時代はいかに自分が”勝つ”という暗示をし続けられるかどうか、精神のスタミナみたいなものが大事なような気がする。 本当に自分に暗示をかけるためには、それを裏づける稽古と、信頼できる心の師が必要だと思う。自分の場合は、信頼できる先生にめぐり 会えて幸せだった。
　師にめぐり会えるかどうかは、その人の運によるかもしれないが、あとの自分の稽古による自信の裏づけは努力次第で誰にでも可能なことだ。それから先は、やるか、やらないかの自分の選択だ、と今の若い人に言っておきたいな。