2015北斗旗 パンフレット収録用インタビュー完全版

川保天骨 『ドラゴン魂』編集長
「大道塾」入門の経緯、今後の展望について

※このインタビューは全日本空道無差別選手権大会パンフレットに収録された『気になるあの人に訊く』コーナー用に行われたインタビュー完全版です。パンフレットには収録出来なかった内容や表現が含まれています。

インドでの川保天骨

インタビューア
朝岡秀樹(あさおか・ひでき)
プロフィール
92年着衣総合武道(空道)全日本選手権軽量級優勝、03年無着衣総合格闘技(アマチュア修斗)全日本選手権バンタム級優勝。05年空道全日本選手権1回戦敗退を最後に競技から退く。1969年生まれ。ベースボール・マガジン社ほか、各社のスポーツ関連書籍・雑誌の編集を行うのが本業。2児の父親。空道四段。柔道初段、少林寺拳法初段、ブラジリアン柔術茶帯。教員免許高校一種、NESTA-PFT、日本コーディネーション・トレーニング協会ブロンズインストラクター資格をもち、過去には救急法資格や、NSPA-CPT 、SAQインストラクターライセンスを取得。

大道塾 御茶ノ水支部 HP
http://www006.upp.so-net.ne.jp/kudo_suidobashi/index.html

相手がキチガイだったら自分から殴られに行かないでしょう!

朝岡

このインタビューのコンセプトは大道塾、あるいは空道の関係者で気になる人、よく会場にいるけど誰なんだ? とか思われている人を紹介するページなんです。『ドラゴン魂』で天骨さんのページと被るんですけど、経歴からお伺いして、大道塾へはどういう理由で入って、なぜ戻ったのか。そして今の空道との関わりを聞いていこうかと。まず生まれ育ちは?

天骨

福岡県です。北九州の小倉。

朝岡

ガラの悪いところですよね。いろんな事件が。

天骨

ガラ悪いです。すぐ喧嘩に巻き込まれる。東京来て一回も喧嘩してないんですけど、九州だと巻き込まれて闘ったことあるんですよ。

朝岡

東京だとないですよね。僕もちっちゃい頃からない。中学生ぐらいからですか?

天骨

中学生ぐらいから実戦ですね。

朝岡

『ドラゴン魂』読むと、中学の時に囲まれてケンカに巻き込まれたって書いてありますけど。僕、天骨さんから一回も聞いたことなかったですね、そんな話。

天骨

5人に囲まれて。でもそんな事話したら喧嘩自慢になっちゃいますからね。

朝岡

1対5で勝つことってあるんですね。

天骨

勝ちましたね。居合で多人数を相手にする技があるんですが、掛ってこれないんですよ。蛇に睨まれたカエル状態ですよ。5人で1人を囲んでいるとしますね。その1人が見ただけでヤバい奴だったら来ないんじゃないですか。キチガイっぽかったら(笑)。ワッ! て押したらワッ! と逃げちゃう。5人いる方が集団心理みたいなのが働いてるんで精神的に弱いんですよ。

朝岡

その話、すごい新鮮で。自分が行かなくても誰か行ってくれるだろうっていう甘えが。

天骨

自分が逆の立場だったらありえますもんね。相手がキチガイだったらわざわざ殴られに行かないですよ。もし長田先輩みたいな人がいて、こっちが5人ぐらいだったら自分から行きますか?

あと、全体見るわけですよね。格闘技やってる人って集中力があるんで1人しか見ないんですよね。とにかく対戦相手の一人を睨みつける。でも相手が5人だったらちょっと目の力を抜いて全体を見ないといけないんですよ。居合で習うんですよ。遠山の目付(えんざんのめつけ)っていうんですけど。物の見方ですよね。焦点を一点に合わせず、全体を薄ぼんやりと見る。ブルース・リーの目付もそうだと思いますよ。『ドラゴン怒りの鉄拳』でブルース・リーが柔道場に殴りこみに行ってドア開けた時とか、全体を見てる目付ですよね。目に力入れない。そうすると敵が後ろに居ても見れるわけですよ。

朝岡

最初からそういう自分を護る技術を知ってたんですか?

天骨

中学校ぐらいからですかね。自分の身を護るっていう意識が芽生えたのは。その時『空手バカ一代』読んでたんで。空手をやりたかった。でも道場がなくて、近くに少林寺拳法の道場があったのでそちらに入ったんですよ。

朝岡

川保さんというと大道塾来たとき、柔道のイメージがありますけど、その前に少林寺拳法なんですね。

天骨

空手やりたいけど、極真とかなかったんで。少林寺はいっぱいあったんです。少林寺拳法は突き、蹴りあるから空手みたいだなと思って。中2から中3までやってました。高校入ってから柔道部ですね。柔道も空手やるためにやってた。

朝岡

柔道は高校3年間だけなんですね。

天骨

3年間だけ。九州は柔道強いんですよ。他の高校とかの柔道部は中学、小学校からやってる奴ばっかりでした。なので中々勝てなくて。本気だもん、みんな。

朝岡

大道塾入った時点で打撃の経験は。

天骨

少林寺しかないです。でも、柔道の稽古が終って家の庭にサンドバックぶら下げて殴ったり蹴ったり、それから巻き藁みたいなの作って殴ってました。

朝岡

その頃ってYOUTUBEとか映像ないですよね。

天骨

ビデオがギリあったな。『地上最強のカラテ』『格闘技オリンピック』とか三協映画ですね。17歳の時に『ゴング格闘技』とか『格闘技通信』とか格闘技雑誌が創刊されて、それから情報がちょっとずつ入ってきた。その前の情報元は『月刊空手道』ですね。それで大道塾の存在を知ったんです。

朝岡

『月刊空手道』は本屋に中々売ってなかったんじゃないですか?

天骨

大きい書店だとあるんですよね。

朝岡

そんなの読んでる人いないですよね、北九州で。

天骨

僕ぐらいじゃないですか(笑)。それから『パワー空手』ですよね。情報がそれぐらいしかないんで。『空手バカ一代』はその頃流行ってて、みんな読んでたんじゃないですか。そこで強烈に感化された僕みたいなタイプは空手の世界に入っちゃうんですよね。

高校の柔道部時代。真ん中が川保天骨。金鷲旗は2回出場。

空手の世界、大道塾に入門!外に向かっての闘い!

朝岡

『空手バカ一代』があって、空手やりたいけど道場がないから少林寺、そして柔道に。

天骨

柔道はやっておかないとなっていうのがあって。柔道経験はあった方が有利でしょ。高校に空手部とかないし、柔道しかないじゃないですか。剣道っていう発想はなかったな。

朝岡

『月刊空手道』で見た大道塾の記事ってどんなのでした?

天骨

一番最初に東先生を見たのは、夏合宿の特集で。極真なのにこんなことしている流派もあるんだって思って。2回目は長田先輩のソウルファイター、タイのラクチャートとやった、あれが決定的になって大道塾に。

朝岡

極真系の空手団体だけど顔面があって………。

天骨

『空手バカ一代』って、他の格闘技と対戦するじゃないですか。外部のやつと闘うっていうロマンがある。マンガの世界ですよね。異種格闘技戦とか。その時期に外側に向かって戦いを挑んでる団体っていうのが大道塾だったんです。極真は競技化されて、競技を充実させるために世界大会とか、そっちの方へ行ってるわけじゃないですか、同じ時期には。大道塾は外に出て闘っているっていう事実がわかって「極真入ろうと思ってたけど大道塾だ!」と思って。

朝岡

それで大山倍達総裁に質問を書いて。
※川保天骨は『月刊パワー空手』誌上での大山総裁の連載。『Q&Aマス大山 正拳一撃』コーナーに投稿した事があり、その質問が採用された。

天骨

あれ、名前全部伏せられて文章変えられてますけど、大道塾と東先生って名前が。

朝岡

総裁の答えは意外とマイルドで。いつも強い口調じゃないですか。ぶっ倒せばいいとか。この質問に関してはそういう感じじゃないですね。それから高校卒業して大東文化大学に入ったんですよね。

天骨

とにかく大東文化に入りたかったんですよ。総本部道場が近いから。

朝岡

大道塾に入りたくて大東文化を?

天骨

はい。近いんで。学部三つ受けましたよ。全部受かった。でも自分の勝手で上京して大学行こうっていうんだから親に金出して貰うのが忍びなくて。新聞奨学生っていうあれで。2年間新聞配りながら学費払ってました。

朝岡

その当時は早起きだったんですか?

天骨

4時起きとか。それから学校行くでしょ。帰ってきてまた夕刊配って。それから19時から三部の稽古に行く。稽古終わって帰ってきたらすぐ寝なきゃですよね。月一回は集金があるんで。それがまたつらい。一番眠い年頃ですよ。18歳とか19歳ですよ。そんな時期に一生分の早起きしてるんです。だから今は自由なんですよ。寝たくなったら寝るし、目が覚めた時が起床時間(笑)。

板橋の徳丸っていう街が僕の配達地域だったんですが、あの辺、階段多いんですよ。だからロードワーク兼ねてるんですよね。毎日階段を上ったり下りたり。だから脚がとにかく常に筋肉痛でしたね。あまりにも痛いんで病気なんじゃないかって思った時もあるんですよ。下半身全体がダルくて痛くて。慢性疲労みたいになっていて。新聞配達辞めたら治って。職業病みたいな感じですよね。足腰鍛えたっていう意味では、あれでよかったと思いますよ。

朝岡

大東文化ってどこにあるんですか?

天骨

高島平と東松山。1,2年は東松山で遠く行かなきゃいけなかったんですけど。新聞配る場所があっちだと困るわけですよ。だから東武練馬駅の近辺。その他総本部の周りにあった大学は武蔵大学、でも大東はその時イケイケだったんですよね。ラグビーとか駅伝で。新聞配達は2年で辞めて残りの2年は金貯めてたんでそれで金払った。新聞配達を辞めてからはアルバイトですよ。何だってやりましたね。大学はほとんど勉強せずにバイト。月に25万~30万稼いでましたね。

友達とか誰もいなかったですね。田舎の同級生なんか東京までこないですよ。だいたい大阪止まりですよね。東京来るのはよっぽど目的があるような人間でしょ。

朝岡

それで、なんでカメラマンの道を選ぶことになったんですか?

天骨

その時、道場でサンドバッグ蹴ってたら神田勲先輩が「多田君、明日バイトしない?」って言うんですよ。それがカメラ・アシスタントのバイトだったんですよね。

それまでは僕は大学卒業したら自衛隊に入ろうと思って。第一空挺団っていうのが習志野にあるんですよ。パラシュート部隊ですね。そこ入りたかったんですけど、神田先輩の現場に行って考えが変わっちゃったんですよね。神田先輩がいなかったら今の仕事してないですよ。

朝岡

東京来てどんな感じで大道塾に入門したんですか?

天骨

東京来て一週間ぐらいで道場行って「入門したいんですけど」って。見学も何もせずに。受付は有江先輩がいて。

朝岡

88年ですね、きっと。4月ですか?

天骨

4月ですね。東京来て、1週間目ぐらいに『格闘技の祭典』っていうのがあったんですよ、両国国技館で。それ見に行って。その後ですからね。

朝岡

入った後はどうでした?思い出とか印象とか。

天骨

僕、高校時代は柔道部なんですけど、自宅の庭につるしたサンドバッグ殴ったり蹴ったりしてた。空手の組み手も友達と遊びでやってたんですよ。喧嘩とかもするわけじゃないですか。「俺、絶対チャンピオンになるな」って思ってたんですよ。自信満々なわけです。そしたら、白帯から青帯になる審査でボコボコにされて(笑)。痛いし、ショックでしたね。東京は強い奴がいっぱいいるんだと改めて思って。

僕の思想というか信条なんですけど、その世界で一番厳しい所に入るべきだって思うんです。とにかくその時は日本全国から強い奴が集まってる大道塾総本部に入らないとだめだと思ったんですよ。写真もそうですけど、一番厳しいスタジオに入ろうとか思うんですね。トップのところに入らないと。写真は大道塾の神田先輩に導かれて入ったんですが、そのうち色々なカメラマンのアシスタントやるようになった。そういう現場に居て、カメラマンの仕事見てたら「これはいいな~」って思うようになった。頭使って、体力使って。面白い商売だなってどんどんのめり込んでいったんです。

格闘技、空手に関しては道場やろうとかそういう発想はなかったですね。プロの選手とかも基本的にないじゃないですか。職業どうすんのかなって部分はあったんですよね。カメラマンという職業の方がその時、魅力的に映った。なので自衛隊入るのを辞めて、カメラマンになろうと。

朝岡

自衛隊に入りたいと思ったのは何でですか?

天骨

特殊部隊とかに憧れるんですよね。「ランボー」とか見てるわけですよ。

朝岡

影響されやすいんですね(笑)。

天骨

そうなんです。「野性の証明」とか(笑)。特殊部隊の男って最強じゃないですか。そういう訓練も高校時代してたんです。一人で山の中に入って。ずっと隠れてる。

朝岡

誰も来ないじゃないですか(笑)。

天骨

人が来るんですよ。犬の散歩とかで。山の中に入って潜伏してるわけですよ。穴掘ったり、木を切り倒したり。

朝岡

それは頭おかしいじゃないですか(笑)

天骨

頭おかしい(笑)。家の隣が崖で、真夜中に迷彩服来て登ってたんですよ。

朝岡

迷彩服着なくても誰も狙わないでしょ(笑)。

天骨

訓練ですから。お袋に見つかって超恥ずかしかった(笑)。

朝岡

なんて言われたんですか(笑)。

天骨

「やめなさい」って。

朝岡

そりゃそうですよね。

天骨

わざと何も食べずに腹減らせて飢餓状態を味わったりとか、わざと崖から転げ落ちたり。中学生の頃だったと思いますよ。火薬集めて爆弾作って爆破させたり。それも特殊部隊入るための自分なりの訓練ですよね。冬とかもTシャツでいたりして、ちょっと頭おかしいですよね。

朝岡

カメラマンで食って行こうと思ったのは大学3年とか?

天骨

そうですね。だからスタートが早いんですよ。20歳で進路が全部決まってるんで。自分なりに独学で写真の勉強してたら岩上安身先輩が「写真の学校出とけ」って大学卒業して写真の専門学校行って。なんの役にも立たなかったです。その時もうスタジオ入ってたんで。

朝岡

現場で覚えた方がいいですよね。

天骨

それが22歳とか23歳。大道塾で地区大会で優勝したりとか段々いい成績を収めるようになってきた時期ですね。そういう自信もついてきてるわけですけど、社会に出たら一番下っ端ですよね。カメラアシスタントって人間の屑みたいなもんですから。ギャップがあるんですよね。自分の誇りというか、プライド、俺は本当は強いんだっていう部分は木っ端みじんにされるわけです。社会に出て現場行ったら一番下っ端の犬畜生みたいな感じじゃないですか。そこが悔しかったというか。

朝岡

悔しいと思うのが偉いですよね。僕は当たり前というか、こうだろうなって思ってました(笑)。

天骨

でもカメラマンなるのにこういう試練を受けるんだなと普通に思ってましたよ。僕が最初にいた業界は広告写真のスタジオなんです。コマーシャル・フォトというか、雑誌じゃないんです。職人の世界ですから厳しいんですよね。

朝岡

カメラアシスタントってスタジオでフォトグラファーが撮ってる横でレフ板を持ったりとか、ああいう。

天骨

はい。ストロボ組み立てたり。フィルム何枚目ですってカウントしたりとか。僕、未だにああいうスタジオ行って下っ端の人とか見ると優しくするんですよ。新聞配達の人とか。自分がその時悔しかったんで。下働きしてる若者見ると優しくしてしまう。
僕自身は「お前なんか絶対カメラマンになれないんだからな」とか言われたりしてたけど。あと『貧乏人はカメラマンにはなれない』とか言われてた。でも絶対なってやるって。

朝岡

それが何年ぐらい続いたんですか?

天骨

スタジオは1年か1年半ぐらいで。次はラッシュっていう編集プロダクション入ったんで。

朝岡

そこで写真を撮ったり。

天骨

それまではアシスタントだったのが、今度は自分がカメラマンとして写真を撮るわけですよ。スタジオだと宝石とか車とかバイクの撮影が多かった。4×5(シノゴ)っていうデカいカメラで撮るんですけど、ワンカット撮るのにに6時間ぐらい掛るんですよ。苦痛以外の何物でもないですよ。それに比べたら雑誌の業界はこういう世界ですから楽しいですよね。撮影する被写体は人間ですから。色んな人に会う。女の子もたくさん撮る。僕はコマーシャルのカメラマンより雑誌とかのカメラマンの方が向いてるなって思いましたよ。僕の入ってたラッシュっていう会社では写真を撮るだけではなく編集もしなきゃいけないし、文章も書かされるし。デザイン以外はほとんどやりました。

朝岡

それは何の雑誌なんですか?

天骨

そこは出版社じゃなく編集プロダクションなんです。出版社から仕事を受けて実際に誌面を作る会社なの。だから何の雑誌でも作るんですよ。エロ本とかサブカル。その当時はエロ本とかいっぱいあったんですよ。そこで毎日撮影。文章もそんなシビアな文章じゃないですよ。字紋って言われてて。模様ですよ。グラビアとかで下の方に無意味な文章いっぱいあるんですよ。デザイン上文字ないと変なんで。それです。あと、ビデオレビューとか風俗嬢紹介とか。朝行くとビデオが積み上がってるですよ。「これ全部レビューして」って。それから画面撮影。これは結構やりました。『さくらんぼ通信』っていう雑誌で人の何百倍もエロビデオ見せられたわけです。

朝岡

その時、エロビデオにもう飽き飽きというか。

天骨

見たくないですよ。今でも見たくないですね。だからビデオの内容自体見ないでパッケージ見て全部僕の妄想でレビューしていったわけです。それを編集長に気付かれて………。それを止めさせるためにパッケージとか取られてビデオテープ本体しか渡されなくなった。なので、タイトルのみでレビュー書くんです。完全妄想ですよ。意地ですよ。今やったら大変な事になるけど、大らかな時代ですよね。

その時、原稿はペラっていう原稿用紙にエンピツで書いたんです。すごい早いんですよ、僕。何も考えずにウオーって書く。現在はパソコンのワープロソフトで書いてるけど、原稿書くの早いですよ僕は。その時に何も考えずに文章書くっていう訓練を6年間もしてたんで。週刊誌の書き方とか月刊誌の書き方とかいろいろあるじゃないですか。フォーマットがあるんで。そういうキチっとした書き方は。書けって言われたら書きますけどね。好きじゃないですね。なんか自分が空っぽになったような気分になる。だから僕は基本的に自分のことしか書かない(笑)。自分がどう考えるかっていう所しか興味ないんですよ。人がどうのこうのとか、この作品がどうのこうのなんて能書き垂れるのが一番いやですね。だから職業ライターじゃないんですよ。

大道塾総本部でのスナップ。総本部が練馬にあった影響で、現在も練馬近辺に住む天骨。


北斗旗会場にて。左後ろで手を組んでるのが朝岡氏。

肩が脱臼すること20回!

朝岡

入門してからチャンピオンになるまでの流れをお伺いしたいんですけど。

天骨

大道塾には18歳で入ったんですけど、トレーニング自体は14歳からやってるわけですよね。東京来るまで猛烈な訓練をしてるんです。頭のおかしいような訓練。山駆け登ったりとか、崖から転げ落ちたりとか。それから基礎体力の訓練。腕立てとバーベル、腹筋、背筋。おまけにこれらを計画的にやったんですよ。練習帳付けてましたし。自分に嘘つくわけにいかないんで。そういう基礎があって18歳で入ったんですけど、ちゃんと空手やってる人とスパーリングしたことないわけですよね。ボコボコにされますわ。そこから技術をやって。それも全部練習帳につけて。今もですけど、稽古したら全部稽古帳につけてます。試合に勝った、負けたっていうのもその帳面につけてる。そのデータを元に弱点をあぶり出して次の練習に反映させる。

僕は肩が外れるんです。脱臼癖ですね。入門して1年目ぐらいの時に大道塾の合宿で肩が外れたんです。合宿で相撲大会があったんですけど抜き勝負で9人抜いて10人目、青木先輩だったんですけど一緒に倒れた時に外れたんです。目の前が真っ白になるぐらい痛かったですよ。自分がどこにいるかも解らないぐらい痛かった。黄帯ぐらいの時かな。合宿終わって1か月目にまた肩が外れて。市原先輩に外されたんですよね。

朝岡

それは何で?

天骨

タックル切られた時に外れた。それから東先生に袖釣り込み腰で投げられて外れたり。1か月ごとに肩が外れて脱臼癖になっちゃったんです。今まで15回から20回は外れてると思いますよ。その時期はもう選手としては駄目だと思いましたね。昔の僕の試合見たらジャブ打ってないんですよね。

で、途中で壁にぶつかるんですよね。試合に勝てない。だから発想の転換をしないとと思ってサウスポーに切り替えたんです。それで1年か2年やってた。中量級の体力別の時、酒井選手と対戦したんですが、開始1分ぐらいの時にタイミングのいいストレートか何か貰って、膝ついて有効か何か取られたんですよ。俺、サウスポーだから追い込みのパンチが弱いわけですよ。追い込めない。それで負けちゃったんですよね。利き腕じゃない人間がサウスポーでやると追い込めないんですよね。それでまたオーソドックスに戻したんです。なので僕はどっちでもできるんです。スウィッチ・ヒッターですよ。それで左が打てないんで、動きが変則のような感じになる。ちょっと変わってるんです。飯村先輩みたいな正攻法って言うんですか、僕みたいな変速とはうまくかみ合わずに僕の変なパンチが当たる。僕自身は左肩が脱臼してなかったら正攻法的な戦い方をしてたかもしれないんですから、運命が変わってるかもしれない。

朝岡

ハイキックとか上から打ち下ろすみたいな感じで打ってましたけど、あれは誰に教わったとかそういうわけじゃない?

天骨

今ってコーチとかについて色々教えてもらうじゃないですか。その時って誰も教えてくれないですよね。自分で練習方法開発するしかない。結局、自分で全部発明する。色々な試合見たりするわけですけど。ハイキックはそんな当たるもんじゃないですよね。

朝岡

当時、市原、飯村、加藤、長田、蛸島、いろんな先輩がいましたけど、誰に教わったとか影響受けたとかは無いですか?

天骨

無いですね。本部で三部終わった後に自主錬していたのは私以外だと市原先輩、高松先輩、牧野先輩がメイン。

朝岡

スタイル的にはどれも全然違いますね。

天骨

影響は受けてないですね。皆それぞれ違うタイプの練習方法ですから。僕は北斗旗ルールでは市原先輩みたいにできたら最強だろうなって今でも思うけど、あんなことできないですよ(笑)。市原先輩のパンチもらった事ある人は分かると思うんですけど、バットで殴られたみたいな感じになるんですよ。頭モギちぎられるような感じ。できるだけスパーリングで闘わないようにしてた(笑)。

朝岡

当時の稽古はきつかった?

天骨

自分で追い込んでるわけですけど、やっぱり甘えが出るんで。キックジム行ったりしてミット持ってもらったりとかしてました。あと出稽古はよく色んな所に行きましたよ。

朝岡

どんな所に行きました?

天骨

最近は巨椋さんの所。高円寺とかだったりとか。他流派ですよ。

朝岡

経歴としては何年にどうなって。

天骨

90年に無差別で5位になったのかな。93年に優勝で、94が飯村先輩にリベンジされたっていう。

朝岡

93年の決勝はパンチを当てて勝ったような感じですよね。

天骨

飯村先輩、調子悪かったんじゃないですか。軸足にローが入って倒れたりとか。翌年は飯村先輩がかなりギンギンになってた。

その後、タイで異種格闘技戦やるっていう頭があったんで、93年に飯村先輩と一緒に行ったんです。飯村先輩はランシットスタジアムでやって。俺、体重が合わないから相手がいなくて、しょうがないからパッポンのリングに上がって。そこで負けちゃったんです。

朝岡

チャンピオンで行って負けちゃったと。その頃はグローブ・ブームというか、そういう雰囲気がありましたけどそれに影響されて?

天骨

よく言われるんですよ。先生に。グローブで影響されたんだろうって。違うんですよ。僕は最初からムエタイとやるっていう考えがあった。空手でムエタイに勝つんだって言う。今だったらMMAとかあるけど、その時、空手が外で闘うべき相手ってムエタイぐらいしかないでしょ。

朝岡

もともとそういうのが好きで入ってきたんですもんね。

天骨

そうですよ。素手の技術とかグローブの技術とかじゃないんですよ。そんなんどうだっていいんですよ。とにかく外に向かって闘う。その部分を込めて『ドラゴン魂』を作ったんですから。そういう意味で僕の本来の思想が織り込まれたレーベルですよ『ドラゴン魂』は。これを使って色々な選手を異種格闘技戦に持ち込む。この前、平塚を連れて行きましたけど。今度、清水がラウェーやりたいとか。今後色々出てくると思いますよ。もちろん大道塾だけじゃなくて他の流派や道場の人も参加してもらいたいんですけど、大道塾だといろんな所に出れるでしょ。対応できるというか。

朝岡

負けちゃったけど特に影響も無く?

天骨

それでまた練習して頑張ってもう一回挑戦だって思って。2年後の95年に『フルコンタクトカラテ』っていう雑誌の企画で日本対タイの5対5マッチやったんですよね。それで僕は大将で出たんですけど、今度はノックアウトされて、それがすごいショックで。

朝岡

最初は判定だったんですか?

天骨

今のムエタイ挑戦ツアーとかだと3ラウンドですよね。この前、平塚がやったのは肘無しでユルいルールなんですよ。ノックアウト以外が全部引き分けだし。僕が行った時は5ラウンドで肘も全部あり。一回目はパッポン、バンコク。2回目はパタヤですね。

朝岡

あれ出てくる人強いですよね。

天骨

強いですよ。俺、ノックアウトされて。試合でノックアウトされたの初めてなんですよ。

朝岡

その年は全日本には出てなかったんですか?

天骨

出てないです。人生の80パーセントから90パーセント掛けてたものが負けちゃったんですよ。それでどうしようと思って、先生に一応報告しないと、と思って。

朝岡

どうやって報告したんですか?

天骨

恐いから電話(笑)。負けましたって言ったら「ナニ~ッ?! 練習もしてないのにそんなの出るからだ」って。練習は北斗旗の時よりも実は量的には何倍も練習してたんですよ。でも勝負って練習の量が多いからって勝つとも限らないんですよね。その時の出方次第の部分もあるし。それでバンコクから日本に帰る時………、もう帰りたくないですよね。飛行機落ちないかな、ぐらい落ち込んでるんですよ。それで帰ってきてから先生に「お前、この野郎!」って。

朝岡

北斗旗よりも練習したってのはどうかと思いますけど(笑)。

天骨
それは言わなかったですけど。先生に「それは雑誌に出るのか」って言われて。「押忍。雑誌の企画なんで100%出ます」って(笑)。先生また怒って。それでダメだって思って。もう辞めようと。その時に、ボキって心が折れちゃったんですよ。若いし、純粋だし。今だったら折れないですけどね。若いと修復できないですよね。それで三か月ぐらい何もしないわけですよ。その時はカメラマンとかそういうことやってるから、ちゃんと仕事しようと。でも今まで空手やってたエネルギーがだんだん溜まってくるわけですよ。はけ口がどこにもないわけですよ。

アチラ側の世界を見る

天骨

空手の世界から完全に引いてしまった後が問題ですよ。何もすることがないんです。どうしようと思った時に「そうだ、バンドやろう」と思って。

朝岡

それまで音楽やってましたっけ?

天骨

まったくやってないですよ。

朝岡

何歳の時ですか?

天骨

25歳か26歳ぐらい。三か月間、何もやってなくて、何か打ち込めるものが欲しかった。今までやってたエネルギーが有り余っちゃってるわけですから。音楽好きだし、聴いてるだけじゃなくて演ってみたいなってちょっとあったんですよね。それで楽器何にしようかな、と思って、ギターは6弦あるけどベースは4弦しかないからベースを選んだっていう。メンバー募集のチラシを作ってディスクユニオンに貼って。そしたら電話が色々掛ってくるでしょ。そのうちメンバーが集まって、やるぞって。

朝岡

全然弾けないわけですよね? それで募集しちゃうんですか? すごい行動力だな。そんな音楽関係の店にチラシ貼るって結構弾ける人が貼るんじゃないですか?

天骨

弾けなかったんだけど徹底的に練習はしましたよ。基本から。バンド名『太陽肛門』っていうんですけどね。バンド名は漢字でつけたかった。歌詞もメタル系だと他のバンドは英語ばっかりだったから日本語で作ると。

朝岡

ヘヴィーメタル系のバンドだったんですか?

天骨

ドゥームロックっていう分野があって。サイケデリックなヘビーロックですね。テンポが遅いんですよ。ロックっていうのはそもそもブルースから進化してきたんだけど、かなり早い段階で枝分かれして独自の発達を遂げたと言われてるのがドゥ-ムロックですね。だからヘビーメタル的なものとは違うんです。アシッド(幻覚剤)や大麻、マジックマッシュルームとかを服用してトリップした世界と非常に結びつきがある音楽分野と言ったらいいんですかね? ある意味、原始的なロックですね。バンド名はジョルジュ・バタイユの小説から取ってる。とにかく空手に使ってるエネルギーを全部そっちに持っていった。

朝岡

よく弾けましたね。僕もギター弾こうとしたけどできなかった。

天骨

エネルギーを集中するとできるんじゃないですか。あと作曲。

朝岡

ちっちゃい頃にピアノとかやってたわけでもないのできるんですか?

天骨

全部口で。ペペペーとかやって(笑)。思いついたらテープに吹き込むんですよ。それを聞いて、耳コピしてリフを作った。まずドラム・マシンでリズム入れて、耳コピしたベースを吹き込んで、その後ギターを被せて最後歌を入れてデモテープ作るんです。それをみんなに渡して、次はこの曲やるぞって。

朝岡

すごいですね。

天骨

本気ですから。今までの80パーセントから90パーセントぐらいのエネルギーを掛けてるんで。必死ですよ。仕事よりも。というか、それが仕事になっていったんですけど。

朝岡

それはどういう活動してたんですか?

天骨

ライブハウスでライブするっていうことと、CDを制作して販売する。

朝岡

そのCDはいわゆる自主制作みたいな?

天骨

そうです。それが今の会社の元になってるんで。98年の時に、サイケデリック物質をギターの奴が俺に食わしたんですよ。●●●なんですけど。レイヴっていうのがその時流行ってて。幕張メッセかどこかで日本初のレイヴみたいな感じの祭典があったんです。昔からピンクフロイドやドアーズ、ビートルズなんか好きだったし、そういうサイケデリックの世界に憧れみたいなものはあったんですが、実際、サイケデリックって何かという事は一切知らないわけですよ。単なる音楽や映画の分野かなぐらいの意識ですよね。結局そこで実際に体験してしまって完全に見ちゃったんですよ。アチラ側の世界を。

最初、トリップしてる事に気づかなかったんですけど、ちょっとしたきっかけで自分がすでにトリップしてる事が分かった。その時、いきなり頭の中でドーンって爆発音が鳴ったのは覚えてます。目の前にミルクの海から目玉が出てきたりとか、ありとあらゆるモノが現れてきた。極彩色の。巨大な大仏とか、真っ赤な空を自分が飛んでたり、完全に自分自身が皮膚一枚からひっくり返って自分の中に向けての視点を持っていたり。何言ってるか分からないでしょ? まあ幻視ですね。よく映画で見るあんな感じ。その時思ったんですよ。「これ見たことある」って。総本部で練習中、長田先輩に頭蹴られて失神した時見たんですよ。虹色の蛇がとぐろ巻いてる映像。あれと同じノリですよ。

最近よく思うんですけど共通してる部分があるなと思って。武術の世界とサイケの世界。心とか脳みその部分があるんで。

CD3枚出した後、アメリカのレーベルから声がかかって。コンプリート盤を出さないかって。それで新曲加えて2枚組をアメリカのレーベルから出しましたね。

朝岡

アメリカのどこのレーベルから?

天骨

アメリカのtumultっていうレーベルですね。サンフランシスコにあるんです。そこの社長がワザワザ僕の原宿の事務所まで来た。Solar Anusって海外だと名前が通ってるんですよ。出したいって言うからいいですよって。カルト的な存在で海賊版とかも結構出回ってるとか言ってました。


大道塾のグローブマッチイベント 『Wars ’93』に出場した川保。


完全にサイケデリックの世界に突入した頃の川保天骨。

先生が一番嫌いなタイプの人間になっていた

朝岡

そこからどう大道塾に戻ってくるんですか?

天骨

バンド活動がレコード・レーベルの活動になっちゃったんですよね。自分のCDも出すし、ほかのバンドのCDも出して流通させていく。それが段々映像の世界に拡張して行って販売しているものがDVDになってきたりしたんです。結局、モノ作って売るっていうビジネスですよ。もちろん、最初の頃はそれだけだと食えないんで、カメラマンやったり、編集プロダクションやったり。物販と制作を両方やってるんですよ、29歳で独立して以来。

それでだんだん出版業界が怪しくなってくる。おまけにカメラもデジタルカメラが出てきて仕事が激減するんですよね。メインがDVD制作販売の方に行って、本や雑誌制作もやってたんですけど昔みたいに儲からなくなってきて。DVDは自分の所で全部制作してお金も自分で出して。それがかなり売れたんですよ。その時、格闘技関係の仕事も山田編集長のフルコムでしてたんですよ。なんだかんだで格闘技関係の繋がりはずっとあるんですよね。そんな時期に練馬支部の方に高松先輩が道場やるってことで、じゃあ手伝いましょうってことになったんです。それから練馬道場に所属。

朝岡

やめる時はやめるって先生に言ってたんですか?

天骨

言ってないです。自然消滅。あれ、アイツ来なくなったな、みたいな感じですよね。99年ぐらいに先生から電話掛ってきて。「おまえ、今どこにいるんだ?」って。「今、自宅で寝てます」そしたら「平和台の焼肉屋にいるから5分以内に来い」って言われて。行ったら高松先輩とか先生とかと久々に会って。その時、俺、髪の毛長くて。

朝岡

髪長い時ありましたね。あれは音楽活動で長くなってたんですね。

天骨

バンドやるとなんで髪が長くなるのかなと思ってたけど、自分がやったら本当に長くなって(笑)。

朝岡

なんで長くなったんですか?

天骨

わかんない(笑)。反抗したいんじゃないですか、大人に。

朝岡

もう大人じゃないですか(笑)。

天骨

その時、大道塾で雑誌作ってたでしょ。あの時、カメラマンやれって言われてやってた。

朝岡

なんで呼び出されたんですか?

天骨

わかんない。あいつ何してんだ? ってよくあるでしょ。俺がそういう状態で、先生が一番嫌いなタイプの人間になってた。

朝岡

先生はなんて言ってました?

天骨

驚いてましたよ。何でこんなことに………って。おまけにその時は○○物質とか服用経験あるわけですから考え方が人と違う。

それから高松先輩が一回帰って東京戻ってきた時に、久々に練習出た。休会届けとか出さずに自然消滅してたんで、総本部に行って先生にもう一回やりますって報告して。今までの休会費払えって言われたんです。いくらですかって聞いたら18万円(笑)。ナンボかまけてください~って泣きついて。それで大道塾に戻ったんです。段位は初段で止まってたんで。それから練馬支部所属でね。

今、なんで大道塾の手伝いしてるかと言うと、この『ドラゴン魂』っていう雑誌作る時に先生にインタビューして、それからですね。ちょうど世界大会始まるちょっと前だったんで、飯食ってる時に「お前もロシアに来い」って言われて行くことに。

朝岡

練馬支部に行き始めてから何やってたんですか?

天骨

稽古ですよ。僕は教えられないんで。高松先輩いるのに教えたらこんがらがっちゃうでしょ。考え方も違うし。

朝岡

それが何年からですか?

天骨

その時は本気じゃないですよ。『ドラゴン魂』にも書いたんですけど、だんだん太ってきて。久々に鏡見たら、なんじゃこのオッサンってなってきて。以前からこの雑誌の企画があってやりたかったんですよ。それでちょっとずつ体を鍛え直そうと思って。事務所の隣にセンチャイジムがあったんでそこにまず入って。打撃の筋肉って普段使う筋肉と違うじゃないですか。体が1か月ぐらい痛かったですね。慣れるまで。だんだん元に戻ってきて。

5年前ぐらいからちょっとした繋がりで居合もやるようになったんです。最初何やってるか全然わからなかったですね。1年、2年ぐらい経って面白いと思って。その時、自分の体が自分のものじゃないって気付いて。脳みそと体のギアがだんだん合ってくる。これがちょっと快感なんですよ。それは居合で初めて知った。大道塾は型が無いですけど、型に自分を嵌めていって、ギアが合ってくるんですよね。それもサイケデリックの世界に通じるなと思って。脳みそと体が脱皮してくる。空道は競技だからスポーツ的に体をMAXまで心肺機能、筋力をあげて。居合は日本刀があって使い方とか、身体の操作方法、あとは心の部分なんで、すごい新鮮だったんですね。伝統派の空手の型をやってる人から見るとそういうのあると思うんですけど。1年ぐらい前に居合の三段の昇段試験に受かって本物の日本刀買ったんですよ。そうすると合気道やりたくなるんですよ。原理が同じなんで。剣を振るっていう。

朝岡

合気道どうですか?

天骨

面白いですね。合気道は覚える技が多くて。それが頭の中でごちゃごちゃになるんですよね。でもだんだん体が覚えてくる。週1回なんで。養神館の。楽しいですよね、やっぱり。空道だと怖いし、きつい。あと酒飲むっていう感じですけど。合気道は試合無い。居合は型試合ですから。ああいう世界が空道にもあったらいいのになって思うんですけどね。今は試合する人が中心じゃないですか。試合じゃない部分を何かできないのかなって。

朝岡

型的なものですか?

天骨

型というか、身体操作法って言うんですか。居合だと僕とか結構若い方なんで。お爺さん、おばあさんの世界なんですよね。七段、八段の人は八十歳とか。みんなカッコ良いんですよ。合気道については、本当に喧嘩に使えるのは合気道じゃないかって思うんですよね。ナイフでやられたらどうします? みたいな。格闘技雑誌の編集とかやってたんで、武術、武道はほとんど見てるんですよね。自分がやるようになって、あの先生はああいうことやってたんだなって今さら思い出す。

朝岡

今の大道塾の仕事としては何を?

天骨

ウェブサイトの運営と空道チャンネル。それはうちの仕事とほぼ同じなんで。そういうフォーマットがある。

朝岡

それはバンド活動から繋がってるんですよね。思わぬところから。

天骨

今こういう『ドラゴン魂』みたいなもの始めてみたら反響が大きかったんで。俺の好きな世界。前は『ドラゴンスピリッツ』っていって朝日新聞の出版社から出してたんですけど、その本はブルース・リーが全面に出てる。ブルース・リー好きのための本みたいな。この『ドラゴン魂』は俺とか、俺みたいなオッサンが挑戦するマガジンにしたかった。

朝岡

天骨さんが完全に企画して作ってるわけですよね?

天骨

そうです。昔から企画を温めていたわけですよね。定期刊行物にすると追いつめられるでしょ。だからネタが溜まったら出そうと思って。

朝岡

コンセプトは格闘技なんですかね?

天骨

格闘技に関わらず挑戦する。挑戦する上での梶原一騎とかのイメージ。

編プロやってる時に、仕事取るために20本、30本企画をいつも持ち歩いてるわけですよね。で、出版社に飛び込みで営業に行ったりして、担当の顔色見ながら企画書出したりしてた。本が売れてた時は編集者が強かったですけど、今はあまり売れないんで営業の方が強いでしょ。だから僕は営業を口説き落とすための素材とかいっぱい用意してるんですよ。グラフとか作って。「こんな感じの本が何冊出てますよ、これぐらい売れてますよ」とか。ハッタリでも営業の人が「やってみるか」みたいな気持になるんですよ。

でもね、編プロやってる限り一生貧乏人だなって気付いたんですよそのうち。人の畑耕してるだけですから。自分の畑を持ってそこを耕して作物獲るっていう所に行かないと一生浮かばれないですよ!それをやるにはDVDの方が本より障壁が低かった。おまけに本より売れるんだってわかって。でもDVDも最近はもうダメになって。

大道塾もモノを制作して、ブランド力を上げて、そこで収穫を得るような形にしていきたいんですよ。HPも本部がやればいいんですけど、そういう体系が無いんで今うちがフォーマットを整備しようとしてるんです。勿体ないですよね。ブランドがあるのに、それを強化していくスタッフが足りない。僕は今、昔みたいに現場行かなきゃいけないっていうのがないんで。それができる

朝岡

今後もそういうことで。

天骨

大道塾、空道のブランド力を上げていく上での手伝いをしていきたいです。自分自身でも面白いんですよ。これぐらいの規模の団体、組織を決定的なものにしていく。その過程って面白そうじゃないですか。今後やろうとしてるのはアーカイブですね。全東北大会の1回から3回、そこから北斗旗の試合全部コンプリートしたDVDもしくはダウンロード。素材は全部こっちに来てる。どんだけ売れるかわからないですけどね。コンプリートすること自体がブランド力になると思うんで。そんな団体無いでしょ、この規模で。僕も見たいと思うんですよね。自分が出てる試合がどこにあるかわからないから見てみたいし。

朝岡

素晴らしいですね。これ、お父さんなんですか? こんな感じなんですか?

天骨

こんなんばっかりですよ、北九州。行ったことあります?

朝岡

九州は無いですね。

天骨

普通に歩いてるだけで「何ガンたれとんじゃ」みたいな。北九州はヤバいですよ。東京で言うと○○区みたいな。

朝岡

○○区そんなことないですよ(笑)。普段は。

天骨

山手線がこうあって、十字に切るじゃないですか。朝岡さん、出身どこですか?

朝岡

小さい頃は赤坂とかですね。

天骨

右下側ですね。高級な。左下から左上に行く所がホット・スポット。中野 杉並 練馬。ここが好きなんですよ。そこからさらに上に行くと板橋とか北区とかになるとシャブの匂いが、暴力の匂いがしてくる。僕は中野とかこの辺に居るっていう。

朝岡

音楽はもうやってないんですか?

天骨

プロデュースはやってます。ベースはたまに弾いてます。ライブとかはやってない。

朝岡

稽古はどれぐらい?

天骨

合気道、居合、空道。

朝岡

総本部で指導もしてるんですよね?

天骨

毎週水曜日。今年の3月ぐらいからかな。中村知大がいなくなっちゃったんで。ウェブサイトの話とかあってたまに顔出したり。あと山崎進君が出れない時に俺が出てるっていう。

僕は指導するの初めてなんで、最初どうしようと思った。でも、この指導っていうのは意味あるのかなって思うんですよね。自分で考えろよって。

朝岡

昔はそうだけど今はそうはいかないですよ(笑)。

天骨

今の生徒、自分で考える力が無いでしょ。僕は自分でものを考えて組み立てることができたから。誰も頼りにしてない。それが仕事にも結びついてるから。

朝岡

トップの人はそうだけど、経営を考えた時に、世の中の道場がどんどん低迷下してるから、そこに足並みをそろえないと。昔のやり方だと「あそこ、何も教えてくれないじゃないか」と。そこに対抗するためには教えないと厳しい。

天骨

経営的にね。昔は道場少ないし。大道塾も放っておいても勝手に生徒が来てたし。

朝岡

お金出して来て、誰も教えてくれないし(笑)。

天骨

強くなるってことより、自分をマネージメントする上では誰も頼りにしなくて強くなっていく場があれば。そっちの方が人生で役立っていくんじゃないか。

朝岡

道場の稽古だと一番上の人が基本稽古とか仕切りをやって、あと1時間タイマーだけ待ってて、じゃあスパーリングやるぞって最後の30分ぐらいただ打ち合うっていう(笑)。その中で強くなっていくってよっぽど自分で考えないと。

天骨

逆に技術指導というより、心の部分を説いてやればいいわけですよ。話だけでいいんですよ。ちょっとしたヒントを与えればいいわけで、あとは自分でやれよって。

朝岡

それでも今は厳しいと思うけどな(笑)。お茶の水だって他の所見て来たからそれに合わせて相当丁寧に教えてますけど。

天骨

ダメ。逆に何も教えない方がいい。やる気なかったらやめちまえって。人から教えてもらうのポケ~って待ってるような人間は駄目ですよ。親切に教えるって逆に害でしょ、それって。人を頼りにするような人間の器しか作れないですよね。

『ドラゴン魂』は格闘技雑誌って思われてるんですけど違うんですよ。どん底の所に落してものを考える。無人島漂着とかも考えてるんですよね、サバイバル。

朝岡

部活とかやってる子って周りに全部与えられるから、自分で考えることまったくしない子が多い。

天骨

日本人は劣化してるんですよ。劣化してる人間の方がコントロールしやすいですからね。何かの差し金かもしれませんよ、ユダヤ人の。

それから今の日本人がロシアのやつに勝つとか無理でしょ。ロシア人は放っておいても自分でモノを考えてやってきますよね、意識が違うから。とにかく勝つために必死ですよあいつら。

朝岡

面白い問題提起を頂きました。ありがとうございます。

天骨

先生に言ったら、この野郎とか言われたけど。先生、優しくなってるじゃないですか。昔、先生と会ったら頭がボコボコになってた。げんこつで殴られたり。居酒屋で皿を縦にしてバコンってやられたことあるんですけど。次の日、シャワー浴びてたら頭ボコボコになってるし。最近やらないですよね。寮生に対してもやらないし(笑)。